宝さがし

「宝さがし」に夢中です。「美しい景色、好きなもの、お気に入り、きれいなもの」というお宝を見つけて、写真を撮り、インスタグラムに記録していくという新しい習慣ができたからです。

新しいクルマに乗って、1人でドライブするのが最近の楽しみになりました。好きな音楽を車内に響かせながら、行ったことのない場所を次々と開拓していくと、世界が広がるような満ち足りた気分になります。そして、日常の、例えば職場の、小さな社会で起こっているいざこざが、本当に些末なことのように思えてくるのです。

週末の一人旅では、誰にも相談せずに行きたい場所に行き、泊まりたいところに泊まり、飲みたいものを飲み、食べたいものを食べることにしています。自分のご機嫌をとることを第一に考え、我慢や忖度とは無縁の時間を意識して確保することが私には必要です。そうすることがこの厳しい時代を生き抜く大切な智恵となってきているような気がするのです。

9月になって、夏の終わりを感じると、急に海に行きたくなりました。海岸線をどこまでも走っていくと、美しい景色が目に飛び込んできます。青い空と海に見事に映える白い鳥居のある浜でした。

この美しい世界の美しい景色というお宝を見つけ、驚いて浜に降りていくと、海風と波音が爽やかに迎えてくれました。

「やっと来れたね」そのとき、なにか大きなものに呼ばれたような気がしました。

「やっと、見えた。」それが、その瞬間の感覚です。世界はこんなに美しいのに、私はそれに気づきもしなかったことを悟ったのでした。

人生はすばらしく、世界は美しい、という真実、生まれてこのかた、ずっと忘れていたその感覚が強烈に蘇ってきたのです。かつて生まれたての命だった自分は知っていた、その感覚が。

無垢な私たちが、苦労して生きるうちに、人生はいつのまにかハードルだらけの厳しい競走になり、世界は危険な地雷原のような場所に姿を変えました。せねば許されない課題に追われ、誰かに責められる錯覚に苛まれ、ずっと張りつめた心で過ごすようになったのです。

もったいないことをしました。

どうやら私は、世界の美しさに気づかないままに膨大な時間を費やしてしまったようです。脳のほとんどを使って過去の失敗や恨みを反芻し、フラッシュバックに苦しみ続けた私にも、すべてを手放すときが来たのだと思います。

書き連ねてきた自分史も、そろそろもう閉店します。読んでくださった方に感謝します。つらいと感じていた過去のすべてが、今の私のしあわせを作ってくれたことに感謝しながら、もう二度とこない過去とお別れします。ありがとう。

さよなら。

私の宝探しは始まったばかりです。日々は映画の様に輝いて見えます。これからどんなに美しい場所を訪れるのでしょうか。世界の美しさに目をみはり、大きなものの声に「やっと来れたね」と迎えられるような思いに包まれる、そんな瞬間を楽しみにしています。

 

 

 

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