「ボヘミアン・ラプソディ」に一票!!

今年のアカデミー賞は、「ボヘミアン・ラプソディ」に決定です。私の中では!(まだノミネート段階だけれど)

全世界の多くの世代を巻き込んだ、この映画の一大ブームを牽引しているのは、私たち50代の「なつかし力」なのだと思うけれど、そんな私たちに「お母さんたちの大好きなQueenが映画になったみたい、見てみて。」と教えてくれたのは、息子や娘からの情報でした。

我が家ではよく、Queenのアルバムが、大音量でガンガンかかっていたから、彼らにとっては子守唄のような感覚で、この映画も楽しめたようなのです。そういう若い人たちも、意外と多いかもしれません。

1978年  中学生のころ、同じクラスに「クイーンかっこいい!」と独りで騒いでいる同級生の男の子がいました。「なにそれ?」と何の興味も持たなかった当時の私、「クイーンってなん?ロックってなんなん?『ザ・ベストテン』に出たら見てあげてもいいけど」なんて思っていました。

夫の影響で初めてQueenを認識したのは1990年代、パワフルで綺麗な音楽でした。内心かつての同級生に「ごめん」と言いたくなるくらい、ひとつひとつの曲がキラキラ輝いていたのです。

今回の映画で、私が一番心を打たれたのはやはり「ボヘミアン・ラプソディ」を歌い上げる場面でした。特に心が震えるのはここ。

「I sometimes wish I’d never been born at all・・・」

「(最初から生まれてこなければ良かったと 時々思うんだ)」

このフレーズだけは、なんだか泣けてきます。ああ そんな風に感じる子が、ここにもいた と。

フレディ・マーキュリーがHIV発症を告白し、すぐに亡くなってしまった秋、彼が性的少数者であることを知りました。そんな中で聴いた「ボヘミアン・ラプソディ」が、心に染み入って離れませんでした。全編が詩でカムフラージュされていながらも「罪を犯す、人を(自分を)殺して生まれ変わる、親を失望させ、すべてを捨てる、別れを告げて、風に吹かれてさまよう」姿に、人生の普遍的な苦悩の真実を見たような気がしたのです。

そこから好きになりました。ただの「才能あふれるスター」なら、たぶんフレディにこんな風に惹かれることはなかったような気がします。悩み、傷つき、苦しむ、壊れそうな青年だから気になったし、ちょっと変で、くすっと笑わせてくれるキャラクターも気に入ったのでした。

性的少数者であり、当時の社会では自分の性的指向を世間的に公表できない、けれど、それこそが自分のアイデンティティで、魂の叫びを歌にせずにはいられなかった、まさに命懸けの表現者だと感じます。

今、もしもフレディがこの映画の反響を見たら、どう思うでしょう。「あれ?俺達 OKなの?」と驚くかもしれません。OKですよ。私たちはありのままのあなたを受け入れています。この映画の反響がそれを物語っています。

だから 今年のアカデミー賞作品賞は、「ボヘミアン・ラプソディ」に決定です。私の中では。 それがこの新しいミレニアムの出す答えだと 信じます。

 

 

 

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