Please just live(ただ 生きて)

今回の新型コロナウイルスによって、私たちは、いままで経験したことのない世界を目の当たりにしています。

なにより驚いたのは、今までの常識が、つぎつぎにくつがえされていくことです。

「人は、朝起きたら家を出て、働きにいかなくてはならない。

学齢期の子どもは学校に行き、同世代の子どもと机を並べて学ぶものである。

家にばかり籠っているのは良くない、人と交流する社会性を持たなくてはならない。

景気が良いのが一番だ、観光客と消費行動で、経済を回さなくてはならない。」

生まれてから、ずっと正しいことと思い、疑いもしなかった当たり前の数々、それらが突然、通用しない世の中になってしまいました。

大人も子どもも、「いままで当たり前と思っていたことが通用しない」という、強烈な体験を、いま、初めて強いられているのです。

立派でありたい、正しくありたいと強く願って生きて来た人ほど、今回の「価値観の崩壊」が、心にこたえると思います。例えば、学校で皆勤賞をもらうような優等生や、社会性にすぐれ、貢献度も高いような人など「いままでちゃんと生きて来た」と自他ともに認めるような人ほど、苦しいのではないでしょうか。

あたまの切り替え(常識・価値観の更新)が、うまくできないのです。だから、私たちは、たぶん参ってしまうのです。

でも本当は人々のすべてが、「価値観の崩壊」を、『初めて』経験したわけではありません。

国連のグテーレス事務総長が「世界にとって第2次世界大戦以来の最大の試練」だとしたように、いまから75年前の、1945年、日本が軍国主義から民主主義へと価値観を裏返したとき、・・・今と同じように、それまで信じていたことがなにひとつ通用しなくなったときのことを、経験として覚えている人たちがいることは確かです。

たとえば、80代後半の方々です。

1945年に、12歳だった父、14歳だった亡くなった義父、彼らは、尋常小学校から国民学校へと変化した時代に学校に通い、「軍国少年」として学校の先生から「国のために命を捨てることこそ素晴らしい」という美学を教えられました。少年たちは純粋な心で大人を信じましたが、1945年、すべての価値観はひっくりかえり、常識は崩壊しました。

おどすように言い聞かされ、骨の髄まで叩き込まれた価値観、そのいままで信じてきたことが「すべてまちがいだった」ということを受け入れられずにいたかれらをそのままに、大人たちは、かつての言動をなかったかのように何食わぬ顔で「新しい世界」を生き始めたのでした。

「第2次世界大戦以来の」と事務総長が語ったとき、私は「大人を信じ、1945年に信じていた大人たちの『手のひら返し』に、価値観を崩壊させられた少年少女たちのことを思わずにはいられませんでした。

そのとき、かれらに対して「いままで言いきかせていたことは、もうこれからは通用しないんだよ。ごめん、一回 忘れてくれ。」と、まじめに語った大人が、いったい何人いたのでしょうか。

父は当時をふりかえり「『何を信じればいいのか』と思った」とつぶやいたことがありました。父の、人に対する態度に、信頼関係を避けるかのような未熟さがあるのは、大人達から「おきざりにされた」12歳の夏の記憶に、こころを損なわれたせいかもしれません。

この75年ぶりの、「価値観の崩壊の危機」にあって、私は若い人たちに、何を語れるのでしょうか。先に生まれただけの私の経験値は、もはやかれらに、意味をなさないものになってしまうのかもしれません。

「今まで言ってきたことは、もうこれからは通用しないよ。ごめん、一回忘れて」

今まで自分が「価値あること」と信じて伝えてきたこと、・・・「しあわせになるために学ぶこと」「人と関わり、働いて経済的自立をすること」それさえも、一度置きましょう、いまはもう。

「生きてください」と、いまは伝えたいです。

学ばなくてもいい、働かなくてもいい、なにもしなくてもいい。無為に過ごしてもいい。社会に貢献しなくてもかまわない。ただ、生きて欲しい。

生きることさえ難しいような困難に向き合っている方も、不安やストレスに押しつぶされそうな方も、どうか生きてください。

感染リスクを避けるため、おうちで過ごしているあなたも、「ただ家にいるだけでは申しわけない。何かしなければ」と考えすぎないでほしいのです。生きてこそ、やがてすべてはできるのですから。

焦らないで、急かさないで、考えすぎないでください。

ただ生きるだけで、私たちには充分価値があるのです。生きること、そのものがこの世を支えるのです。

「ただ生きる」そのものの意味を、純粋なその価値を、世界中のみんなで味わいませんか。格差だとか区別だとかをいったん忘れて、私たちはみな、ただの命であることを思い出しましょう。道端の草花や、枝々の鳥たちと同じく、ただ、このひとときの命を燃やす、唯一の存在であることを、自覚してみませんか。

 

2 Replies to “ Please just live(ただ 生きて)”

  1. 4月、5月の投稿を読ませてもらいました。このコロナの渦中で、何を思い、どのような文を書かれるのだろう、とずっと思っていて、今日、ようやく読んだのです。休業になり、仕事をしているようなしていないような、しようと思うこと、そのうちしなければならないことはわかっているのだから今のうちにやっておくと後が楽、と思うけど、やる気が出ない、結局何をしたかわからない一日・・・。こんなんでいいんだろうか・・・?もっと有意義な過ごし方をしないといけないんじゃないか。なんて思ったりするんです。まさしく「価値観の崩壊」に頭がついていっていないんだ、と思わされました。「ただ生きる」価値。そうですね!!

  2. 「働け」「学べ」という号令は、オンラインとかリモートなどに手段を変えて、家の中まで私たちを追いかけてくるのです。
    「オンライン飲み会」が定着すれば「職場の飲み会を断れない」という新しい締め付けが生まれるという皮肉・・・。
    「働け」「学べ」の前に、「まずは生きろ」という一言を、私たちはもっと言い合いたいと思うのです。たくさんの人が死にたくなっている、この春にこそ。emiさん、読んでくれてありがとうございます。

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