沖縄というふるさと

家族と沖縄に行き、沖縄の友人たちとともに食事をしたのは、ちょうど2年前の今ごろです。沖縄の素晴らしさは、景色や食べ物もさることながら、何といっても「人」なので、どうしても、素敵な人たちと語らいたいと思ったのです。沖縄では、お盆をはじめとする先祖供養の行事を大切にするのですが、私たちが訪ねていった日は「内地(本土)」にとってのお盆時期で、沖縄では旧暦にしたがうから、時期がずれてるし大丈夫よ と明るく迎えてくれたのでした。

沖縄の料理とお酒、三線の響きと沖縄民謡、おおらかな人たちとの楽しい会話、そのゆったりとした、温かい空気のなかに身をおくと、自分がまるで大きな大きな胎内で揺られているような心地よさに包まれます。自分の存在がそのまま祝福されているような不思議な感覚に満たされるのです。「なにも果たさなくても、私は許されている」そんな無条件の受容の感覚を生まれて初めて与えてくれたのは、沖縄の人でした。

「『ニライカナイ(海の向こうから神が訪れる)』の言い伝えのせいか、沖縄の人は基本誰に対してもウエルカムなんだよね。あのペリーが黒船で沖縄に立ち寄ったとき、警戒なく迎えたものだから、ペリーも呆れて通り過ぎていったらしいよ。お人よしなんだけどね。」ちょっと自虐的に彼女たちが笑います。「信じること」「受け入れること」「包み込むこと」という姿勢を守ってきたこの土地を、75年前から私たちの国は、アメリカとともに、それとはもっともかけ離れた目的で利用してきたのです。広大で贅沢な一等地にある「基地」の脇の狭い土地で、その尊い生き方を貫いている人々の姿を目の当たりにし、申しわけなく恥ずかしいような気にもなります。

私たち家族を驚かせた話題はたくさんありましたが、そのひとつは、沖縄の一般の人が「マブイ(魂)」の存在を、誰もが当たり前の常識としていることでした。例えば子どもが道で転んだりしたら「マブイ(魂)が道に抜け落ちて気が抜けたようになってしまうので」転んだ場所に戻って「マブイグミー(魂を体に戻すこと)」のおまじないをするのだそうです。「マブイ」とは、おそらく目に見えないけれど、とても大切な「たましい」であり「スピリット」であり、「エネルギー」に似た存在のようです。本土の私たちが話題にもしない、その「見えない大切なもの=マブイ」のことを、沖縄の人たちは、大切に大切に代々言い伝えているのです。「信じること」「受け入れること」「包み込むこと」そんな大人たちの愛と受容を受けて、沖縄の子ども達は「自分のふるさとはここだ」という確信を深めていくのだと思います。

本土に住む、沖縄出身の若い女の子にこの話をしたとき、「え?じゃあみなさんは、マブイを知らないんですか?誰もですか?私だけですか?」と驚かれたものでした。彼女もまた「生きているだけで受け入れられる」という「愛と受容」に満たされながら大きくなり、沖縄を「いつか帰る場所」と呼ぶのです。

楽しい夜の記憶を家族であたためながら、翌日はレンタカーを借りました。その夏にはまだ美しかった首里城を見学し、エメラルドグリーンの海を見下ろして、地元の人のおすすめのステーキハウスに行きました。素敵な旅でした。あの首里城が焼失したときはショックを受けましたが。同時に「すべての旅は一度きり」であり「すべてのひととき、すべての一日も一度きり」であるという真実に気づかされました。

「故郷というものはたぶん、生まれてはじめて自分が一人の人間として受け入れられた、と感じた場所」「そこで受け入れられ、ありのままの自分そのものを認めてもらった場所が『故郷』になる。」「ありのままの自分、そのままの自分で大丈夫、という安心感は生きていくうえで樹木の根のような部分になる。大きな嵐がきても風に耐え命をつなぐもとになる」・・・今朝の毎日新聞でみつけた海原純子さんの言葉です。海原さんは心療内科医として「真の故郷をもたず、自分がそのままでいては受け入れられない、と自分を追いつめ、必要以上に頑張りすぎた患者さんたち」を永年見つめ続けてきたのです。「真の故郷をもたない」私自身のことを言い当てられたようにも感じます。

今年の夏、多くの人が、沖縄に心をはせながら、実際は行かずに我慢しています。コロナ禍が、一刻も早く収まってくれるよう、心から祈りながら。

沖縄を思うとき、生まれ故郷ではないのに、なぜか「帰りたい」と感じることがあります。こうして心を寄せるだけで、不思議とこころが温かくなる場所、それが私にとっての沖縄です。

私が私であるだけで、それ以上がんばらなくても、ただ「いのち」があるだけで「宝」のように寿いでくれる、ちょっとくらいダメな部分があっても「なんくるないさぁ」と笑いとばしてくれる。そんな沖縄の「赦し」のあたたかさを、一度でも味わってしまうと、懐かしくて愛おしくて「また行きたい。帰りたい」と思ってしまう場所になるのです。もうどこにもないと思っていた私の「故郷」は、実は南の海の向こうにあったのです。

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