夏の思い出 その1 「野性」の発見

夏が終わりました。騒がしい世界のはしっこの、九州のかたすみで、日々を淡々と送りながら、過ぎたいくつもの夏が、ときどき心に浮かびました。

家にこもるのに疲れた日は、山に行きました。人のいない九州の山々、クルマで2時間も行けば、標高が高く温度も空気感もがらりと違う高地にたどりつくことができます。

ふと思いついて、小学6年生の夏の、思い出の場所に行ってみました。かつて青少年の集団宿泊施設としてさかんに利用された「青年の家」です。人けはなく、立ち入り禁止のロープが張られて閉鎖されたその建物は、子どもの頃に見た、あの威容も活気もありませんでした。それでも周囲の山々や、自然散策コースなどは、あの日のままの姿で、この場所に、40年以上の時を経て戻ってきた私を迎えてくれました。

1977年、夏休みを控えたある日のことでした。小学生の私はバレーボールチームのコーチに呼ばれ「スポーツ少年団の合同キャンプに行くように」と言われました。

「社会体育」や「大自然の中の合宿施設」など、当時流行り始めた時代の流れが、私を、広い場所に押し出してくれたのでした。そして私は、この「青年の家」で数日間を過ごしました。

家を離れて、家族の目の届かない、山の合宿施設で、知らない人に囲まれて過ごせる幸運を与えられた私には、不安も戸惑いもありませんでした。

日が落ちて暗くなる時間帯、家に帰らなくても許されている、というただそのことに、私は感動しました。それは、身体の底からつきあげてくるような解放感でした。

何十人もの子どもと大部屋に転がされて一緒に寝ることも、はしゃいで廊下を走ってしまったことを指導員の方に叱責され、その場で頭を叩かれたことも、オリエンテーリングで道がわからなくなり、樹海をさまよったことも、私の好奇心を止めることにはなりませんでした。

世界は、かなり荒削りな空気で、私を迎えてくれました。登山やオリエンテーリングや、キャンプファイヤーなど、最近では少なくなった野性的な体験が、あのころの私には用意されていました。自然の中に放り出され、自分の命を自分で守る、という感覚を肌で吸収しながら、私は、自分の中にもともとあり、家族に疎まれていた「野性」の存在に気づきました。

そのころの私は、学校の勉強で苦手な教科が増え、母は、私の能力のでこぼこの「できない部分」を優秀な姉たちと比べては、しきりに嘆いていたのでした。成長期に入った大きな体をもてあまし、家の中に居場所がないような鬱屈を感じ始めたのもそのころでした。

そんな私を、山は、永遠の雄大さで迎えてくれました。

私のなかの「野性」は、山の端に沈む夕日や、ぱちぱちと音をたてるキャンプの炎や、自分の中の空腹や、睡魔や、出会う人たちへの憧れに、静かに呼応し、まぎれもなくそこに存在することを、私に知らせてくれました。

「そんなことで落ち込むな、生きろ」という、突き上げるような「野性」の声を、自然の中に身を置くことで、感じとることができたのです。

 

 

 

 

 

ブログの夏休み(書籍化のおしらせ)

7月になりました。今年も折り返しを過ぎ、後半の下半期に入りました。2019年の1月から、休むことなく続けてきたこのブログですが、初めて、まとまった「夏休み」をいただくことにしました。次に更新するのは、少し先になります。

このブログも、2年半の間に、150回の更新をしました。そのうちの前半の「自分史」のような部分をまとめ、加筆して、書籍化させていただくことになりました。私にとっては生まれて初めての本です。その準備として自分の原稿に向き合い、赤ペンを握りしめる時間が必要になり、最近は時間がなかなかとれなくなってきたことも、このブログの「お休み」をいただく理由のひとつです。

他でもない、このブログから生まれる本ですので、一生懸命こころを込めて、良いものに仕上げたい、そして、より読みやすい形で、みなさんにお届けしたいという気持ちで、一心に机に向かいたいと思っています。お届けできる日がきましたら、いちはやくお知らせします。その時は、ぜひ手に取っていただきたいと思っています。よろしくお願いします。

梅雨の終わりの激しい雨への不安や、そのあとにやってくる灼熱の夏への予感が私たちの心を圧迫します。この4月からの新しい環境に慣れるための我慢が、少しずつ体や心を疲れさせ、きしませるからか、毎年、7月は体調を壊しがちです。自分で自分を労わることで、この時期を乗り越えましょう。

私も今回、2年半ぶりの、初めてのブログのお休みをいただくことが、よい意味での「引き算」となることを信じます。みなさまの周りにも、素敵な夏が訪れますように 遠い町からお祈りしています。

「わからない」を「わかる」。(無知の知?)

最近ある人が「気持ちをわかってくれる人に出会ったのは7年ぶり。」と、私のことを褒めてくれました。

彼女のそのひと言は、私を元気づけてくれますが、不思議なものです。私は先日、彼女に向かってこう言ったからです。

「私には、たぶんあなたの気持ちはわからない。あなたの立場に、私は立ったことがないから。」と。

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「自尊」のすすめ

朝、起きたときは、まず、ごく普通の体調で、当たり前の時間に目覚めるという「偉業」を成し遂げた「自分を尊敬」しましょう。それは、本当に貴重で、立派なことなのだということに気づき、「今日を普通に生きてる私ってエライ!」と、まずは自分自身を褒めましょう。

夕方、一日を終える頃の自分には、多少の失敗があったとしても、誰かに激しくダメ出しをされたとしても、「今日も頑張って生きた私はエライ!」と「自分を尊敬」し、自分の頭をヨシヨシと撫でましょう。それを毎晩の習慣にしても良いくらいです。 “「自尊」のすすめ” の続きを読む

「命令解除」してますか

「『よっこいしょういち』っていう人がいますよね。あれって誰ですか?「よっこいしょういち」っていう芸人さんがいるんですか?」

そんな風に若い人から訊かれて、「隔世の感」に打たれるのは私だけでしょうか。横井庄一さんのことを知らない人々が、周りにこんなに増えるなんて、あの頃の私は思ってもみませんでした。

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 「恐怖」を克服する方法(自分レスキュー4)

仕事に向かうとき、少し「怖さ」を感じるときがあります。たとえば「クレーム処理」や「謝罪」が、今日の仕事だったりする日は、「今日は失敗できないな」と自分にプレッシャーをかけてしまい、「怖さ」に体が硬くなり、表情が暗くなることもあります。そんなとき、数年前、はるさんから「恐怖を克服する」チェアワーク(椅子の療法)をしてもらった日のことを思いだします。

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花のように育てたい

「天国みたいです」というコメントとともに、どこまでも広がる青い花畑が手元にとどきました。関東に住む娘からのものです。

誰かが丹精してくれた「花」のめぐみを遠慮なく吸い込み、「花」の与えてくれるエネルギーにふれた日は、ただただ嬉しく、この世界への感謝があふれます。やっぱり私は「花」が好きなのだと思います。

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出会いの季節がうまくいく5つのコツ

新しい年度が始まり、忙しさに埋もれている間に、あっという間に半月がたってしまいました。日本中のあちこちで「初めまして」という出会いが重ねられているのだなぁと思いながら日々を過ごしています。

私もまた、新しい職場に転勤し、周りの人に教えてもらいながら、仕事をひとつひとつ覚えているところです。「50代からの転勤はきつい」と、よく先輩から聞かされていましたが、若い人に教えてもらうことが、それほど苦にならない私は、そういう意味では救われているのだろうと思います。

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あなたの弱さも好きでした。

春の人事異動で、8年間働いた職場を離れました。いろんなことがありました。一緒に働いた仲間の人柄、ぬくもり、存在感が、今は私のこころをあたためます。ひところ、胃が痛くなるほどに苦痛だった日々もありました。苦手だった人もいました。それらをふくめて、かかわったすべてのことが、私を成長させてくれたと、今は思います。

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「言い方」という言い方が好きな理由。

年度末の季節、みなさん気が立っているのか、このごろ「そんなことでこんな言われ方をするなんて・・・。」と感じるような、言葉の攻撃を受けることが ありました。

激しい攻撃を受けた時は、やはり体が反応して頭に血が昇り、心が硬く閉ざされたような状態になります。おびえと怒りが同時におしよせてきて、こころが不安定になることもあります。

「私自身に問題があるのかな」と一瞬考えますが、少し落ち着いてみると、「そういう人は、誰に対しても同じような接し方をしている」ことに気づきます。つまり、「これは『私の問題』ではなく『ご本人の問題』なのだ」とすぐに気づくのです。客観的に考えても、私が悪いわけでもなさそうです。

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なんでもない日

子どもの頃、毎日はただ、朝に目覚めて、昼がすぎ、日が暮れて一日が終わりました。晴れていれば空気は気持ちよく乾き、雨が降れば空気はやさしく湿っていきました。夏の日の夕立、冬の日のちらつく雪、それらの発する空気感を思いきり吸い込みながら、動物のように私は生きていました。

まだ、私の中に、時計はなく、カレンダーもなく、予定も、未来の予想もありませんでした。あのひとときを私はよく覚えています。

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愛しいモノたち その5

ほどよく小さく、硬質な車体、目立たないけれど上品な白、かわいらしい涙目の顔、店の片隅に置かれたクルマに一目ぼれして、少し無理して買ったのは、14年前のことでした。それから私の生活はがらりと変わりました。

生まれて初めてのナビゲーション・システムは、方向音痴で地図が苦手だった私に、「どこにでも連れて行ってあげるよ」と約束してくれました。

初めてのETCカードを手に入れ、初めて自分のクルマで高速道路に乗りました。「どこにでも、ひとりで行けるんだ」という可能性を得たことで、自信が湧いて来たのを覚えています。

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自分でできる やってみる

生まれて初めて、家の窓の「網戸の張替え」に挑戦しました。

長年のほころびであちこちに傷みが目立ち、今年の夏を迎える前に、是非張り替えなければと思っていました。

今までであれば、どこかの業者さんに電話をして予約をし、家に来てもらってお金を払ってお願いする作業でした。でも今回は自分でやりました。

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ついていかない(ついていけない)

二月も、もうすぐ終わります。「二月は逃げる」と言うように、本当にあっという間に日々が過ぎていきます。

三寒四温という言葉もあるようですが、最近、気温の振れ幅が大きくて、三日か四日のうちに真冬と初夏の間を行ったり来たりしているようです。体への負担も大きいし、服装を選ぶのも一苦労ですが、これも季節感ですね。こうして三寒四温の日々を過ごすことで、季節は新しい方へ向かっているのでしょう。 “ついていかない(ついていけない)” の続きを読む