未来をよろしく

「今年、多くの人が命を絶ちました。人が命を落とすのは感染症だけではなく、心の問題が大きいと思います。僕は大学に行き、心理学を学びます。もう人が死ななくてもいいように、人の心の支えとなるカウンセラーになりたいからです。」彼が、そう言ったとき、私の中ですっきりと謎が解けたような音がしました。

まわりの仲間と張りあったり、けなしあったり、少しの差で優越感を感じたりするような、些末なゲームに参加しない人でした。群衆の喧騒の中で、周りの空気に染まることなく、ときにはからかわれ、いじられたりしながらも、たいして動揺する様子もなく、まわりの仲間の動騒を受け流しながら、じっと考え続ける、その姿は、どこか超然として、背筋が伸び、遠くから見ると、不思議な空気に守られているような静けさに包まれていました。

おそらくその頭の中では、「この世界」にまっすぐ向き合っていて、この世界を少しでも良くするために何ができのるかを、自分自身に問い続けていたのでしょう。

ときどき、100人に一人くらいの割合で、『この世に生まれ死んでいく自分が 果たすべき使命は何なのか』について、若いうちから考えようとする人がいます。誰に教えられたわけでもなく、幼い頃から自分の内側から湧き出てくる、その問いに対する答えを、探し続けてきたのです。

そして18歳になる今年、自ら命を絶つ人々という社会の課題に出会い、その謎に向き合うため、心理学を学ぶことに決めたのです。

自分の使命に気づき、そのために学び、努力して、この世のために尽くそうとする。これほどすっきりと自分の「命を使う」人生があるでしょうか。

そんな姿を遠くから眺め、神々しさに似た眩しさを感じながら、その行く末に幸多かれと祈ります。「未来をよろしく」と、祈るようなエールを贈りたくなるのです。

10年、20年、30年後、40年後、50年後、・・・今は私たちの方が目上のように見えても、あっというまに立場は逆転します。志を持つかれらが未来の社会を支え、老いていく私たちは、彼らに見送られてこの世を去るのです。

そして、彼らにエールを送ることができるように 社会はもっと変わらなければ と思うのです。

以前、カウンセラーの友人が、「カウンセラーってね、意外と不安定な雇用で、収入が定まらないんだよ。」と自嘲気味につぶやいていたのを思いだします。臨床心理学を日本に取り入れた河合隼雄さんが亡くなり、カウンセラーの枠組みが不安定になっているとも聞きます。

それはまずい、と思うのです。

多くの人が自ら命を絶つ時代、ひとの命を、心を支えることで救う仕事に就こうとしている、そんな彼らに「未来をよろしく」と、私たち年上の人間が言うのであれば、社会はまず、そんな若者に、技術や知識を学ぶ機会と、生活の保障をしたほうがいいのではないでしょうか。

この世界を支えるかれらが、将来、人の命を助ける仕事に従事したとき、彼が自分の奨学金の返済や不安定な雇用にこころを砕いたりするのではなく、目の前の人々の命を救うことに専念できるように、身分の保証をし、雇用条件を整え、生活を支える必要があると思うのです。

医師や、法曹界の人と同じように、人の心理を取り扱う人々にも、「この世を支える」大きな使命があると思うのです。わたしたちの社会は、そろそろそのことに気づき、かれらが安心してその使命に専念できるような環境を整える時期に来ていると思うのです。

そうすることで初めて、私たちは彼らに「未来をよろしく」と、胸をはって言えるような気がするのです。

* 今回の画像は、大村湾に沈む夕日、九州の反対側の長崎は佐世保に住む友人が送ってくれた画像をお借りしました。

 

 

 

 

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