1972年の記憶~サッポロ・オキナワ~

 

1972年は、町立幼稚園までの道を歩いて通っていて、それが私の世界のすべてでした。

山の向こうに何があるのか、そこにある世界がガイコクなのかな、と思ったりしました。

「あした チョウチョウさんがようちえんをみにきます。みなさんおぎょうぎよくしましょう」と幼稚園の先生に言われ、心の中でイメージしたのは、モンシロチョウやアゲハ蝶の姿でした。翌日視察に訪れた町長さんの姿を見て「人間なのに、なんでチョウチョウさん?」と、わけがわからない気持ちになりましたが、それを幼稚園の先生に聞くこともできませんでした。もし、家でそんな質問をすれば、きっとまた私は家じゅうの大笑いと、親戚の笑い話の種になったことでしょう。

そんな風に、あのころの私には、世界はわからないことだらけ、でした。わからないことを、わからないままにひとりで抱えて生きることは、思えば楽しいものです。生きている途中で、「あぁ、『町長さん』ね~」と、ハッと気づき、ひとりで可笑しくなって笑うこと、私にとって、それが長く生きる楽しみのひとつでもあります。

家に来たばかりのテレビが珍しくて、「札幌オリンピック」をテレビで見たくて、幼稚園が終わると、急いで家に帰ったものでした。 

「雪が積もったから外で遊ぼう」と誘う友だちに、「オリンピックを見ないと」と断ったのを覚えています。そんな風にテレビが自然を遠ざけることを、私はあの日の記憶から知っています。思えば雪遊びをする季節なんて、人生でそうはめぐってこない 贅沢な時間だったのに、もったいないことをしました。

それでも私はテレビ画面にひきこまれ、氷上のジャネット・リンに憧れたものです。トワエモアの美しい歌声と札幌の街の感動的な景色に「一度でいいからサッポロに行ってみたいなあ」と、うすぼんやりと考えている間に、いつの間にかオリンピックは終わり、やがて「あさま山荘事件」と思われる、子ども心にものものしい映像がテレビで流されていました。

テレビでは、「オキナワ」「アメリカ」という言葉が連日流れるようになりました。その年の5月に、沖縄がアメリカから返還されたのでした。よくわからないながら、子ども心に「オキナワってどこか南の島?ハワイみたいな外国の島?行ってみたいな」と思っていました。

それから何十年もたって、私が本当に沖縄に行き、沖縄でできた同世代の友人とお酒を飲みながら、あのころを振り返ることになろうとは、当時は思いもしませんでした。あのころの沖縄では彼女らが、「もうすぐ日本になるよぉ。車は左側通行になるんさぁ。」と言われ、ワクワクしながら、貯金箱のドルやセントを握りしめ、円に交換する日を待っていたのです。歴史の両側から見る1972年ですが、私はその沖縄の友人を、その日から知っていたような、不思議な錯覚を覚えたりもするのです。

 

 

 

 

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