親切(おやぎり)の春

2012年の春、46歳の私が願ったたったひとつの願いは「もう誰にも支配されたくない」ということでした。いい年をして、なにを子どものようなことを言っているのだ?と思われるかもしれませんが、永年「愚かな末娘」の役割を与えられた私は、その年になるまで両親から、「ああしろ こうしろ」と言われることに逆らわずに生きてきたのです。

その一方で、実家から離れて両親の手を借りずに子育てをした私は、逆に自分の子どもに対し「あなたの人生はあなたのもの、大切な決定は自分自身で選びとってほしい」と、一生懸命伝えてきたのです。

かれらに子ども部屋の片づけをさせるときは、大きなポリ袋を渡して、「いらなくなったと思うものを入れてね。すべて『自分で決めて』ね。」と言いました。かつて好きだったもの、今の自分やこれからの自分にとっていらないものの判断を本人にさせ、親から見て「高かったのに」と思っても口出しをせずバザーに出したおもちゃ達もありました。たとえサンタさんからもらったものでも例外ではありませんでした。物より大切なのは、子ども本人の自己決定であり、それに親が口出しをすることを控えてきたのでした。そういう風にして私は18年間子どもと向き合ってきたつもりでした。

一方、実家の両親は、子どもや孫の人生は自分たちのもの、という感覚がありましたから、姉たちの生んだ6人の孫たちの大学進学や就職、結婚にまで意見をし、ときには決定を変えさせたり、婚約者と別れるよう言い渡したりすることもできる人たちでした。それに対して、姉も姉の夫たちも疑問を抱いていないのか、かれら家族はうまくいっているようでした。孫の大学の入学式や、社会人となった孫の職場の行事にも遠慮なく参加するような感覚の人たちでした。孫たちも、それを当たり前のこととして受け入れるように育っていました。

私の息子が18歳になり、進学をしたり就職を考えたりするころになると、実家の両親と私自身との間にある、根本的な考え方の違いが浮上することになりました。進学や就職については、当然のように「自分たち祖父母の意見をきいて欲しい」と思う両親は、孫の受験や進路に際して、なにひとつ相談しない私に腹を立て始めました。それでも私は、姉たちのようにはなれませんでした。離れた町の私の子育てに、18年目になって、突然、参画してくる両親の感覚に違和感がありました。だから私は両親からの意見を、丁重にお断りしました。

どの方向に向かって歩き出したいのか、18歳からの彼らには、どうか自分で決めてほしい。一度決めたことを自分で変更してもいいし、やぶれても 挫折してもいい、ただ、すべて自分で選び取ったのだと自覚しながら、人生を生ききってほしい。それが私の親としての唯一の願いです。

その大切な選択の時に、誰からも口出しさせないように、ご意見を押し戻すのが、親としての、子育ての 最後のつとめであるような気がしたのです。

だから、2012年の春、私は、両親に「あなたがたのご意見はいりません」と告げました。子どもの頃から、親の顔色を伺い、褒められるように、気に入られるように、愛されるようにと そればかり願って生きて来た「愚かな末娘」の役割を、生まれて初めて脱ぎ捨て、やっと「ひとりの人間、ひとりの親」としての、ゆずれない意志を示したのでした。

末娘の私の 初めての抵抗に対する、恐ろしい雷のような父の怒りや、感情にまかせた母の激しい声は、瞬間、無抵抗なころの私に、何度も私を引き戻しそうになりました。

それでも私は、彼らの支配の鞘に収まることは、したくないと思いました。ちょうどそのころ息をひきとった、伯母の死も、私の決心をささえてくれました。

伯母の死は、私に「じぶんのこころを大切にしなかったら、死んでしまうよ」と教えてくれたような気もします。

こうして私は46年間乗った、実家という「船を下り」たのでした。

船を下りてみて、初めて気づいたのは、いかにいままで、自分が「他者にこころを、脳を、乗っ取られた状態で生きて来たのか」という事実です。

親の、家族の、世間の、評価を気にし、「みんなのするとおり」という基準を探し、嫌われないよう、批判されないよう考え抜いて行動を決めてきました。

人の期待に応えようとして、時には無理が重なって、過労で倒れて入院することもありました。そのくせ、心では封じ込められた怒りが渦巻いていて、なにかの拍子にかっとなることもありました。

そんなかつての自分を脱ぎ捨てた2012年から始まった、私の新しい人生は、最初のころ、混乱や不安や罪悪感に襲われ、「息をするのも苦しい」毎日を生きる、という船出でした。

しばらくの間は、誰にも言えない、孤独な苦しみがありました。

しかし、「親との関係に悩む」ということは、思春期に世の中のほとんどの人たちが経験する道であるような気もします。家出も勘当も、気づけば物語の中にはいくらでもありました。

「人間失格」や「こころ」や「それから」や「暗夜行路」のような文学作品だけではありません。「白雪姫」も「シンデレラ姫」も「ヘンデルとグレーテル」も「リア王」も「ロミオとジュリエット」も「スタンド・バイ・ミー」も「いまを生きる」も「スターウォーズ」も・・・。

古今東西のいたるところで、人は親子の関係に苦しみ、そこから逃れようとし、もがきながら生きるのです。人はいつか、親から離れ、自分の人生を生きるのです。

それをなかったことのように無視し、「親孝行」を美徳とし、「仲の良い家族しかこの世にはありえない」かのようなCMを流し、盆正月に帰省することを当然のことのように報道するメディアの作り出す空気が、私を孤独にし、苦しめたものでした。

世界から見れば、名もない中年女性の「遅く来た反抗期」にすぎないのでしょう。それでも、私には、2012年からの自分の人生が、一日一日、この上もなく愛おしいのです。たどるように生きた、私の日々は、不器用でも、不恰好でも、本物の私の人生だと感じます。

 

 

 

2 Replies to “親切(おやぎり)の春”

  1.  こんばんは。このブログを知ったのは、少し前のことですが、最初からちゃんと読みたいと思っていたので、今まで読まずにいました。今日、久しぶりに何の予定もない休みだったので、最初から一気に読みました。親との関係に悩んでいること、子育てに対する考え方、社会に対して感じていることなど共感するところがたくさんありました。お酒でも飲みながら語り合ったら、あっという間に時間が過ぎてしましそうです(笑)
     それにしても、実家という船から下りるのは、本当に大変だったことでしょう。それでも下りて正解でしたね v(^^)v

    1. orionさんへ
      ありがとうございます。
      時間のあるときに、最初から一気に読んでくださったのは、ありがたいことでした。途中からだと 「? 」となることが多いブログですので。「舟を下りて正解だったね」と、言ってくれる人がいま表れたことが嬉しくて、2012年の、孤独だった自分に、教えてあげたいような気がします。

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