白髪の先生

小学校3年生のときの担任の先生は、サトウ先生と言って、白髪頭のおじいさん先生でした。とは言っても、たぶん今の私より、ずっと若かったのでしょうが、あのころの私には、とてつもなく年齢のいった人に思われました。

サトウ先生は、ちびまるこちゃんの先生のように、ごくあたりまえの先生らしい先生で、おだやかな人だったような気がします。どんな性格で、何を習ったのか、ほとんど印象に残っていません。あのころの私はと言えば、あいかわらず、ぼ~っとしていて、忘れ物が多い子どもだったため、迷惑をかけていたのではないでしょうか。私はとにかく算数が苦手で、掛け算の九九や、分数で、すでにつまずいてしまっていたものの、先生に叱られた記憶はありません。(二人の姉が出来が良かったためか、私の不出来は、親を慌てさせ、怒りと焦りと絶望の表情を見せて私を問い詰める、母の形相だけが記憶に残っています。)

サトウ先生はクルマも運転免許も待っていないようでした。自転車で通勤し、家庭訪問に来てくれました。オイルショックのニュースが流れたあのころ、「先生のクルマはガソリンがいりません。」と、めずらしく先生が、ちょっと胸をはって言ったのを思い出します。

ある日のことでした。私の上靴がなくなったことがありました。

放課後でした。帰ろうとして外遊びをきりあげて、ランドセルを取りに教室に戻ろうとでもした時でした。

私は、自分の持ち物がなくなったときは、ただもう「また おこられる!」としか思いません。軽いパニックを起こすのです。

あのころ、なにか物がなくなると、私の家では必ず、私のせいになりました。「この子はだらしなくて、ものの始末が悪いから」「ぼやっとして物忘れがひどいから」と責められるのです。とにかく「失くした」と「おこられる!」は、私の中でイコールでした。だから、上靴をなくしたことを、先生に相談するのは、ずいぶん気の重いことでした。

ところが先生は、怒りも叱りもしませんでした。ただ、すぐに一緒に探してくれました。学校中をくまなく歩き回って、私のためだけに、たいそうな努力をしてくれました。

結局、あの日、上靴が見つかったのかどうか、をよく覚えていません。大騒ぎにならなかったことを思えば、たぶん見つかったのでしょう。それを忘れてしまうくらい、私には、その日、「私のためだけに、一生懸命に」なってくれる大人の姿が珍しくて、ただただ驚いてしまっていたのです。

「先生、なんでそんなに 探してくれるんですか?」という意味のことを私は先生にたずねました。どうして私なんかのために、大人の人が、大真面目に、恩を着せる言葉も言わず、ただただ丁寧に心をくだいてくれるのか、本当に不思議で、その率直な疑問を向けたのです。

生まれてきて、私は一度も自分の親から、そんな風に扱ってもらったことがなかったのでした。

だれもいない、木張りの廊下の途中で振り返って、白髪の先生は、答えました。

「あなたは、先生の受け持ちの、だいじなだいじな子どもですから」

あれから、40年以上たちました。白髪頭のサトウ先生についての記憶は、他にはなにもないのです。それほど印象の薄い先生でした。

でも、今になって、彼は、なにかとてつもなく大切なものを私に残してくれたのではないかと思うのです。「だいじなだいじな人ですから」と、一緒に探し物をしてくれたときの、あのあたたかいものに包まれるような気持ちを、わたしは今でも、忘れることは、ないからです。

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