愛しいモノたち   その4

この家に住み始めた20年前の秋、居間の畳の部屋の真ん中に、それはやってきました。ずしりと存在感をはなち、冬は炬燵にもなってくれる、大きな座卓です。

「テレビを見たり、食事をしたり、子どもが遊んだり勉強したり、語り合ったりうたたねのできるような炬燵が欲しい。子どもの体が成長しても、みんなで使えるような、大きな炬燵を買おう」と探し始めたのでした。

ところが、どこのお店の家具コーナーを探しても、イメージ通りの品物に出会うことができません。「いいかげんな買い物をしたくない。納得のいくものが欲しい」というこだわりを私が捨てきれなかったのは、それが、生活のど真ん中に据えられること、毎日毎日使うものであること、そして、一度手に入れたら、おそらく一生おつきあいするものであるような気がしたからです。

とうとう私は、当時まだ幼かった二人の子どもを連れて、山あいにある「手作り家具」の看板を出している職人さんのところへ訪ねて行くことにしたのでした。

有名な屋久杉材や、紫檀や黒檀、櫻材で、手の込んだ伝統家具を作り続けてきたというその職人さんからは、永く続けて来た、自らの仕事への自信と誇りがにじみでていていました。

だから彼は、その日初めてやってきた子連れの私が、いくぶんカジュアルな注文を図々しく申し出たことに、めんくらっている様子でした。

「毎日使うための、冬には炬燵としても使えるようにした座卓が欲しいんです。」私はその日、炬燵用のヒーターまで持ち込んで、前のめりに、その職人さんにお願いしたのです。

今思えば、私はなんて若かったのだろうと思います。相手はたぶん、そんな普段使いの家具を作るような職人さんではなく、怒って追い返されても仕方がないような失礼なことを、あの日の私は言いだしたのかもしれないとさえ思います。

職人気質の彼は、ちょっと驚き、呆れたように、「変わったことを言う。そんな注文は、初めてやが。」と、つぶやきました。

やがて、私と子ども達を交互に見ながら、「こん子らが大きくなっても使えるような大きな座卓か、なるほど。」とうなずいてくれました。

「じゃあ、一緒に 選ぼうか」彼はそう言って立ち上がると、私たちを木材貯蔵の倉庫に連れて行ってくれました。

倉庫には、木の気が満ち、色も形もさまざまな素材がきれいに立てられ、行儀よく活躍の時を待っていました。

その中から、職人さんは、ひとつの木材を選びました。

「これにしよう、阿蘇の山で育った樹齢130年のモミの木、これを一枚板で使おう。」見上げるとその木は、倉庫の天井を押し上げるように、生命力を放ってそこに立てかけられていました。

炬燵のヒーターを張りつけて欲しい、という奇妙な注文にも、しまいに彼自身も面白そうな顔をして、応じてくれました。目の前にいる小さな子ども達が、夏も冬も、自分の作った炬燵に親しみ、大きくなっていく、そんな未来への一石を、私と一緒に投じてくれるような共犯者の顔でした。

「木は生きている。こうして木材になっても、家具になっても木は死なない。少しづつ変形しながら、ずっと生き続ける。だからこうして蝶目(ちょうめ)を打っておくが、なにかあれば、また持っておいで、鉋(かんな)をかけてやるから。」彼は、大切な機密を手渡すような口調で、そう言いました。

彼自身の軽トラで、完成した座卓が居間にやってきたその日、私は、心を通わせた職人さんから、その木の命を手渡されたように感じました。130年の間、阿蘇で生き続けた大木が、これからも我が家の真ん中で生きるんだ。大切にしよう、と心から思ったのでした。子ども達が喜んで、座卓の年輪の数を数えはじめたのを、職人さんは目を細めて笑いながら見守っていました。

あれから20年経ちました。

子ども達は、文字通りこの座卓で大きくなりました。ここで食べ、語り、寝そべり、くつろいで、やがて、自立して出ていきました。

裏面に取り付けてある炬燵ヒーターは、あれから2回、新しいものと交換しました。電気製品の経年劣化には抗えません。

それなのに、20年を超えた木の方はどうでしょう。微塵の劣化も感じさせず、ますますつややかに、130の年輪もあざやかに、その命を輝かせているようです。

「木は生きている。家具になっても木は死なない。」と教えてくれた、あの職人さんのことを、このごろよく思いだします。

本当でした。ありがとうございます。と伝えたい気持ちでいっぱいなのですが、彼はもう、この世の人ではないことを、訪ねて行った夫が 先日 息子さんから伝えられたそうです。そして、父親の技術を受け継いだ人は もう誰もいない ということも。

20年が過ぎ、子ども達が巣立っても、作ってくれた職人さんがこの世を去っても、彼の遺した作品は、ますます美しく、生き生きと輝き続けるのです。

毎日目にするそれを、思い出とともに、よけいに愛しく思えるのは、目にするたびにそんな「いのち」の存在を感じるせいかもしれません。

 

 

 

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