イマジン

新型コロナウイルスの影響で、沖縄での会議がなくなりました。大好きな仲間に会うことを楽しみにしていたのですが、残念です。

このブログを自分で振り返って思うことは、学校に向かう子どもたちに心でエールを送ったり、人と集まることを楽しんだりしたことが、いつのまにか遠い日々になってしまったということです。あんなふうに何気ない日常を送ったことが、ここまでいとおしく、貴重に感じる日がこようとは思ってもみませんでした。好きな時間、楽しい記憶が、今は宝のような日々に思えます。

さびしくて、不安な時を、どう過ごすか。私の場合は、「楽しかったときを思い出す」という方法を試してきました。

「思い出す」というよりも、「記憶の力を最大限に使い、集中して心に広げ、そのときの空気の温度や湿度や匂いや、風の気持ちよさ、周囲の人の笑い声まで、はっきりと感じ、脳内によみがえらせる」という方法です。そうすることで、実際はつらくても、心の中だけは、楽しかったときにタイムワープし、記憶を反芻することで、しあわせを何度も楽しむことができます。この方法を「イマジン(想像すること)」と呼びましょう。

特にこれを活用したのは、二度目の出産に臨む日でした。数分おきに起こる陣痛を、知ってしまった経産婦の私は、つらさをやりすごす方法として「イマジン」を使ったのでした。

その日にとりだしたのは、その一年前の初夏の日に、職場の同僚の結婚祝賀会として自分が幹事役になった、ガーデンパーティの記憶でした。肌にあたる心地よい初夏の空気、ゆっくりと暮れていく残照の空、ワイングラスやビアグラスの触れ合う音、笑い声、バーベキューの焼ける匂い、幹事の責任を果たした安堵と、みんなに喜んでもらっている嬉しさに、許されていると感じる幸福感。

陣痛のあいだ、その記憶をとりだしてイマジンすることで、つらい時間をやりすごすことができました。あの安産の理由は「楽しい記憶」のおかげだと身に染みて知った私は、心からこう思いました。

「人生をほんとうに支えるのは、実は『楽しかった記憶』なんだな、生まれたこの子たちの人生でも、楽しい記憶をたくさん溜めて欲しい。」と。

いま、新型コロナウイルスの影響で、世界は動揺し、悲しみや不安から人々は互いに攻撃的になっています。楽しい未来が次々にしぼみ、落胆と不安を抱えて、つらい気持ちでいる子ども達にも、「イマジン」の力を試してほしいのです。

あなたが生きてきて、一番楽しかったときはいつですか、そのときの風の匂い、空気の気持ちよさ、優しかった周りの人のことを思い出してみてください。何度も何度も、脳内に幸せな記憶の世界を広げてください。不安や恐怖のストレスで、身体の免疫力を損なうだけではない時間を、どうか取り戻してほしいのです、イマジンの力で。

かつて「生きる力ってなんですか」という質問に、内田樹さんが「できあいのシステムが壊れても生きていける力」と答えていたことを思い出します。先の見えない世界で、未来の見えない不安におしつぶされず、自分にできることは何かを考え、生き抜く力こそが、真の「生きる力」なのだと答えていました。それを読んだ時に「できあいのシステムが壊れた世界」ってなんだろう?平穏な世界しか経験のなかった私には内田樹さんの警告が、よくわかりませんでした。

いま国境も超えて広がる新型コロナウイルスの影響は「できあいのシステム」が今までのようには通用しない未来を思わせます。お金や社会的地位も、見えないウイルスの前では免罪符にはなりません。みな平等にリスクを負っています。国や人種を互いに攻撃し合うことの愚かさに気づいた人々は、さっさとそこを卒業して、生きる力を発揮し自分にできる最善を尽くしているのでしょう。ワクチンを作る人、薬を作る人、医療現場の人、そして、政治家に智恵を授ける専門家の人たちも。

ジョン・レノンの「イマジン」は、国境も宗教も超えて、世界がひとつになる未来を謳っていて、歌を聞いた当時は「そんな未来は、来るはずない」と思っていたけれど、いまの私には、わかりません。もしかしたら、ウイルスが国境や宗教や人種を超えて広がったように、この病に立ち向かうために、人類が、それらすべてを超えて、こころをひとつにする日が、来るかもしれないからです。

イマジン!

想像の翼を広げましょう。外出できず、愛する人に会いに行けずにさびしい時も、想像しましょう!かならず再び会える日を、みんなでわいわい集まって、笑いあい、ハグを交わし合う未来を、いっそジョン・レノンの望んだ「武器で攻撃しあうなんてばかばかしいことを人類が卒業して、世界がひとつになる日」を、想像してみませんか。

 

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