人生を照らす炎 その「種火」の話

以前、「大切な出会い」というタイトルで、短い作文を書いてもらいました。その中に忘れられない作品があります。

それは、幼かった日の、おじいさんとの思い出を書いたものでした。彼のおじいさんは幼い彼を、本当に可愛がり、毎日のように彼を連れ出しては、遊ばせてくれました。

ゲームセンターに連れて行ってくれた日、おじいさんは必ず孫に、「ママに言っちゃだめだよ」と、言ったそうです。お母さんは、自分の子をおじいさんがゲームセンターに連れていくことを、教育上よくないことと考えていたようです。

おさない彼は、固く口止めされているのに、ついつい、その日に、楽しかった場所に連れて行ってもらったうれしさを、大好きなお母さんに話してしまったのでした。

すると、彼のお母さんは、そのたびに、おじいさんをきびしく叱りました。

「いまは天国に行ってしまった祖父ですが、僕にとって一番の『大切な出会い』は、あの楽しかった祖父との時間でした。」彼の作文は、そんな風にしめくくられていました。

かれのこの小さな作品を目にしてから、3ヵ月ほどの時間がたちますが、なぜかいつまでも、私の頭から離れません。

幼かった彼と、何年間かを共に過ごして、先に逝ってしまったおじいさんは、とても仲の良いコンビでした。その双方が「ママに叱られる」と、わかりきっていることを、何度も何度もしでかしてしまう『愚かさ』を持っていました。毎回、毎回、ママにきびしく叱られながら、ふたりが下を向いて うなだれている、そんな姿が目に浮かびます。

それでも、そんな祖父と孫の姿は、なぜか私のこころに、じんわりと温かく、光に包まれた絵のように浮かんでくるのです。それは、成長した彼自身の心にいつまでも消えずに残り続けるのに似て、私の中にも、残像のように浮かぶのです。

人は、子どもを育てるとき、「その子にとって、何が最善か」ということを考えます。彼のお母さんは「わが子にとってゲームセンターは ためにならない」と考え、その時間を使って、むしろお勉強をしっかりやってもらいたかったのかもしれません。その気持ちは、かつて小学生の母だった私にもわかります。そのときどきの発達段階にあわせて「身に着けておかないと」その子自身が苦労するのでは、という、親心を焦りに駆り立てる「カリキュラム第一主義」の空気が、この国にはあるからです。だからついついお母さんも「無駄なことをさせないで。遊ばせている暇なんかないから」という気持に追い込まれるのでしょう。

けれど、小学校、中学校時代を通り過ぎ、大人への一歩を踏みだす若者たちを見ていると、どうしてもそういった「効率的な」「無駄を省いた」積み重ねだけでは説明のつかない、もう少しダイナミックな「こころの種火」のようなエネルギーが、実は大切なような気がするのです。

彼のこれからの人生を支えていくのは、無駄な時間を省きながら覚えた単語や数式ではなく、実はあのとき、一緒に「ママから叱られてくれた」愚かな祖父の記憶がもたらす、「愚直な愛」の記憶が、彼の中で「こころの種火」となってしずかに燃え続ける その熱ではないかと思うのです。

その記憶が、彼のその後の人生に、何度も何度も蘇り、彼の心を温め、未来のどこかで、怖さや暗さにこころが持っていかれそうになっても、いつでも彼を明るく、楽しく、温かい場所に戻してくれる力になるのです。

子どもを育てるとき、そういう 人生を貫くような「愛の種火」を、どこで手渡すことができるのかは、誰にもわかりません。親子であっても兄弟であっても「縁の深い」人とは限りませんし、かりに「祖父母と孫」であっても、場合によっては、不幸な間柄に終わってしまうことはあるようです。祖父母との関係が、きわめて不幸である若者の話も、私はたくさん聴きました。

つまり「親子だから」「孫だから」愛が湧くとは限らないし、「他人だから」「嫁姑だから」こんな関係になるはずだ、という一般的な多数派の類型は、実はあてはまらないこともあるのです。だから子や孫を「深く愛さなければ」と思いすぎることも、それはそれで不幸な執着につながる気がします。ふらりと生きて、たまたま出会うことが、あったりなかったり、というところでしょう。

だからこそ、このささやかな生涯のわずかな時間の中で、わかりあい、こころをやりとりし、「愛の種火」のようなものを手渡してくれた人との出会いは、あなたの宝物であり、あなたがつらいときに、何度も何度もとりだして、あなたを暖めてくれる優しい炎にしてほしいのです。その光を頼りに、これから先の人生を、幸せに、心豊かに生きてほしいと願うのです。

 

 

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