「早期決断」を手放すということ。

久しぶりに帰郷した息子とともに、ドライブがてら、近くのワイナリーに出かけることになりました。助手席に息子を乗せ、愛車のエンジンをかけた瞬間、ふと自分のETCカードを失くしたことに気づきました。財布の中にも、カバンの中にもありません。あわてふためいて、エンジンをかけたまま、自宅に戻って探しまわっても、どこにもありません。半ばパニック状態に陥りながら、大切なカードを探し回る私に、息子は言いました。「まずはとにかく、一回落ち着いて。ETCカードは俺のがあるし、運転も俺がするよ。そんなに動揺して運転したら危ないからね。」そうして息子は、運転を代わってくれました。

高速道路を走らせながら、息子が言いました。「仮にETCカードを本当に失くしても、カード会社に電話して、とめて、再発行すれば良いんじゃない?ものを失くすことぐらい、誰にでもあるのに、なんでそこまで?」

息子にそう言われ、自分でも「そうだね。」とつぶやきました。しだいに落ち着きを取り戻した私は、ゆっくり息をしながら、考えました。

「物を失くしたとき、自分が毎回パニック状態になる理由について」ふりかえってみたのです。

ふと「なにか物を失くして、父と母にものすごく怒鳴られながら、失くしものを探し回っていた自分」という幼い記憶にたどり着きました。

父と母は、戦中戦後の物のない時代を生きた人でしたので、なによりも「物を大切にする」人たちでした。「大切な物を失くすような、始末の悪い子どもはうちの子じゃない。今すぐに探し出せ。」というような命令を両親から受けながら、半狂乱になって、探し回っていた幼い日の私。失くした「もの」はとても大切で、両親にとって「娘の私」よりも数百倍、価値あるもののように、私は感じました。「物を失くすようなだらしないやつはこの世から消えてしまえ。」という絶望的なメッセージを、私は受け止めました。だからこそ、「絶対に探し出さなければ」と思いつめ、「死んでしまいたい」ほどのパニック状態で、はいずりまわっていたのでした。

人は皆、10才までの人生に起こったことを参考に、自己流の『生き方のルール』のようなものを決断します。それは、子どもの自分が、そうすることで生き延びるための選択なのだと言います。これを「早期決断」と心理学では呼びます。

「失くしたものを探し出さなければ存在するな」という幼い日の私の意識も、「早期決断」のひとつでしょう。だからこそ、50年以上たった今も、私を支配し、あの日の幼い私に引き戻すのでしょう。

けれど、今はもう、それを手放し、大人の私にふさわしいことばを唱えたいと思いました。

「カードより、私の方が価値がある。仮にカードがなくなっても大丈夫。私の価値は変わらない。」声に出してそういうと、運転席で息子がうなずきます。

ものを失くしても落ち着いていられる大人の私へと、今日からの私は、意識の「更新」をしたのです。

年齢をかさね、「生きる困難」について学ぶことで、わかってきたことがあります。それが『早期決断』と『再決断』とについてです。ひと言で言えば、それは『人生ルールのアップデート(更新)』に関する真実です。大人になった私は、自分の意志で早期決断を手放し、本当の大人になる決意をすることができるのです。

今日、ひとつの「早期決断」を手放して、やっとまたひとつ大人になった私ですが、息子や娘から見れば「いまさら」と思われる程の未熟な母親だったのかもしれません。

すっかり落ち着いたこころで息子とワイナリーを歩きながら、私は改めて謝ります。彼らを育てていた18年間の私は、こころに「早期決断をたくさん抱えたチャイルド状態」だったこと。そのことによって、しばしばパニック母の姿を見せてしまったことについて。

けれど、だからこそ気づく真実もあると思うのです。今日の失くし物も、人生の真実に「気づくため」のギフトだったのかもしれません。

そんな風に腑に落として、凪いだこころで家に帰り、すべてのハンドバッグのポケットのファスナーを開けてみました。

不思議なもので、そうなると、探していたカードが、すぐに見つかったのでした。

 

 

 

*今回の画像は「はるさん」が送ってくれたものです。

 

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