かろやかな時代へ

明るい、穏やかな朝です。

2021年が暮れ、2022年がおとずれました。年末年始のならわしを少しずつ手放すことで 年々お正月の軽やかさがましていくようです。

個人的にも、地球規模でも、「変化の大きい」年でした、オンラインで世界が一気につながり、人々は地球を俯瞰するようになりました。移動が制限されるなか 地球の裏側から届く、平凡な日常の風景がYouTubeで何百万回と視聴されるようになりました。この地球という星を「住みか」として捉える見方もひろがりました。その視点から、このせまくるしい社会のゆがみが表面化しました。

2021年2月7日、「男が上に」という呪いについて と題して 性別にまつわる息苦しさについて書きましたが、2021年の年末には「ジェンダー平等」が流行語となりました。みんなが旧弊に気づいた年でした。2022年は、さらに一気に人々が顔を上げ、すべての楔が過去のものになってくれるような気がします。

転勤し、新しい出会いもありました。働き方も暮らし方も、こころもちも変化しました。時代の変化に伴う新しい仕事を覚える苦労もありました。オンラインでの会議やデジタル化したシステムがすすみ、必死についていきました。

疲れを感じ始めた昨年秋からは、意識的に、あるいは無意識的に生活を変化させていきました。生き方や暮らしを、今までと逆の方向へ向け始めたのでした。

頭とこころの余白を守るために、情報量を減らしました。TVもスマホもパソコンも閉じて、デジタルデトックスの時間を取るように意識しました。

その一方で、自然に向かう時間が増えました。窓から空を眺め、遠くの山の稜線を見つめる時間、頭をすっきりさせるために瞑想する時間も増えました。星空を見上げて流星群を観る日もありました。

生活や意識が、少しずつ「自然」や「地球」や「宇宙」に近づいているのは、最近話題の「SDGs」の影響もあるのでしょうか。私たちの暮らす地球の息吹を感じ、未来もともに生きる伴侶として、水や空気や山や地面を見つめる時間が増えたような気がします。忘れていてごめんね、ありがとう、これからもよろしく、そんな気持ちで世界を見回す瞬間があるのです。

「物も、情報も、多すぎる。これ以上は、もういらない」と思う日があります。

「シンプルに、もっともっとシンプルに生きたい」と思う日もあります。

「ただ、おだやかに、明るい気持ちで 生きたい」と願うのです。

比べること、競うこと、評価すること、争うこと、それらすべてを人からされることも含めて、すべてを手放したいのです。

「もう戦いたくないんだ。ただシンプルに生きたいだけなんだ。」と、この瞬間に、ふと武器を捨てる少年が、地球の裏側に、いるかもしれません。

私もです。素朴に生きたいのです。地球にはりついて生きる仲間に、心で呼びかけながら。

2022年は、そんなささやかな願いが、次々と叶っていく気がするのです。

 

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