「上機嫌」な大人

「上機嫌な大人」が好きです。タレントで言えば、所ジョージさんのような人に惹かれます。自分の人生を楽しむことに、罪悪感を持たず、自分以外の誰の人生にも寛容で、肩の力を抜いていて、なんだかいつも楽しそうな人、あんな人になれたらいいのにと思います。

中学1年生の頃に担任だった男の先生は、明るい人でした。夏休みのキャンプで祖母山に登ったのですが、そのさい、先生がリーダーだったと記憶しています。山に登るのが好きな、活動的な先生でした。

先生から、いつのまにか笑顔が消えたのは、中学3年生で再び担任になったときのことです。理由はわかりません。高校受験を控えた冬の教室、私たちが朝自習をしていると、ガラリと教室の扉が空き、先生が入ってきます。不機嫌の空気が、全身から出ているのがわかりました。「今朝も機嫌が悪いな」と、中学3年生の私は、鋭敏に感じ取っていました。

大人の顔色を窺うのは、当時の私の癖のようなものでした。大人の機嫌に強い影響を受け、一日の始まりが重苦しくなるのを、どうすることもできませんでした。

誰もが、手つかずの一日を、まだ始めてもいない時間帯なのでした。だから朝の先生の不機嫌は、思えば私たちの責任ではありません。それなのに、重くて暗い表情の先生が教室に登場すると、私の心は勝手にざわつき、「また誰かが何か悪いことをして、このあと怒られるのかも。いや、もしかしたら私のせいかも。」と、どうしようもなく不安な気持ちになるのです。勉強が手に着かないというほどではないのですが、確実に不安定な気もちになっていたのは事実でした。

「先生は、いつも 朝 機嫌が悪いから、・・・それが嫌なんです。」と、先生に告げたのは、一対一で個人面談をした最後に、「悩みはないか」と聞かれたときでした。

今思えば、中学生のくせに、大人である先生に対して、ずいぶん不遜なことを言ったものだと驚きます。怖れを知らない時期だったのでしょうか。腹の底で思いつめていたのでしょうか。

そのときの先生の反応を、思いだせないのは、その瞬間、言ってしまったことを後悔していたからかもしれません。だいそれたことを目上の人に言ってしまって、激怒されるということは、父や母やスポーツクラブの大人とのやりとりで、すでに経験していました。

先生の反応は、思いだせませんが、怒り出さなかったのは確かです。その日の個人面談はしずかに終わり、私たちは、受験の冬を超え、高校に進学し、それから先生に会うことは二度とありませんでした。

ただ、それから何十年も経ったある日のこと、大人になった私のもとに、先生から電話がありました。懐かしい声は、あの頃とまったく変っていませんでしたが、歳をとり、先生はどこかの中学校の校長先生になっていました。そして、先生は、こうつぶやいたのです。

「中学生のおまえから『朝の不機嫌を治せ』と、注意されたことがあった。あの一言で、俺は、大切なことを教えられた。あのときは、ありがとな。」と。

中学生のくせに、とは言わない先生だったのでした。中学生であっても、年下であっても、人生をどう生きるかを真剣に考える同志のように対等な視線で、先生は私のことばを、まっすぐ受け止めてくれたのでした。そして先生は、それからの日々を、「不機嫌な大人」をやめ、「上機嫌な教師」であるように修正したのだと、言ってくれました。

中学生のことを『多感な時期』と呼ぶ人があります。『多感な時期』とは多分、こころのセンサーが鋭いということ、まっすぐに感じ取り、まっすぐに生き、そして辿るように生きた日々の記憶が、人生の土台になるという意味を持つのだと思います。

歳を重ねて世の中を見回すと、年若い中学生や、澄み切った子どもの眼ほど、真実を見抜いているのではないかと思わされることがあります。あの日の私も、実は決して大それた子どもというわけではなかったのだと、今は思います。あの日の先生のように、子どもの声に耳を傾け、自分のありかたを修正できる大人でありたいと思います。

そして、何よりこれからの人生は、どこまでも「上機嫌な大人」をめざしたいと私も思うのです。自分の人生を楽しむことに罪悪感を持たず、まわりの人の人生のしあわせにも寛容な、所ジョージさんのような大人でありたいと、今も考えているのです。

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