ユキナさんとの出会い

初めてユキナさんに会ったのは、2017年の夏のことでした。私は、東京にあるビルの会議室で、ある学習会に参加していました。その日の会議室のフロアには、知り合いがいなかったので、私はそんなときにいつも座る一番前の、一番はしっこの席で、ひとりで会の始まりを待っていました。

開始ぎりぎりにユキナさんは入ってきました。長い髪と長いスカートを翻し、満席の会場をみまわして、たったひとつ残っていた、私の隣の空席を見つけて彼女は座りました。知らない女性が自分の隣に座った。私にはただそれだけのことでした。

始まって一時間ほどして、私たちは席の周りの人とグループセッションをすることを促され、数名で丸くなりながら自己紹介を始めました。そのとき初めて、私は、隣の席に座った彼女の自己紹介をきき、彼女が実は男性として生まれ、心は女性であることを自覚しながらも、今は職場では男性として仕事をしている、いわゆるトランス女性であることを教えられたのでした。

私は彼女の顔を思わずじっと見つめてしまいました。マスカラの映える長い睫の瞳は、少し憂いを帯びていましたが、きれいにお化粧をしたその面差しは、まぎれもなく女性のそれでした。ちょっと控えめな、繊細な女性でありながら、話してみると聡明で、面白みがあって、すぐにその場の話題の中心になるような、人間的魅力が彼女にはありました。

「男性として生きてきて、でも本当は心が女性だから、こうして女性の姿で、こんな会に参加できていること自体が初めてで、とっても嬉しいんです」と、ユキナさんは語ってくれました。「どきどきするけど 嬉しいんです」と。

私は、そんなユキナさんの嬉しさに、自分までうれしくなっていることに気づきました。「自分のなかにあった女性のこころを大切に、自分に正直に、初めて本当の自分を生きている 今日の彼女」が、まるで少女のようにきらきらして見えました。そして、そんな初々しい彼女の隣に、たまたま自分が居合わせたことが、まるで世界を代表して、彼女に対して「ようこそ」をいう役目を与えられたようで、自分までうきうきしてきたのでした。

その頃の私は、ようやく自分が女性であることを自己肯定できるような気持になり、おしゃれも楽しく思えてきたころでした。

生まれたときは女の子であることを残念に思われたけれど、それは私のせいではないし、「私は女性である前に人間だ」と心に叫んだ時期を過ぎていました。むしろ、女性に生まれたこの人生を、これからはもう否定したくないな、自分の人生はこれでよかったのだと思いたい、と感じていた私にとって、「女性でありたい」というトランス女性に対して、私は、「一緒に女性を祝おうよ」と言いたくなるような、不思議な連帯感を感じたのでした。

ユキナさんの存在を中心にして、私たちのグループは、親密で温かい時間を過ごすことができました。ワークショップが終わって、会が終わるころには「このあとランチに行こうよ」というくらいにうちとけることができました。

会場を出て、最初に目についたレストランに私たちは入り、クラフトビールで乾杯をしました。この素敵な出会いに乾杯、互いの人生に乾杯。

「女子会、ずっと憧れていて、いつも羨ましかった。『本当は私、あっちのグループなのにな』と思いながら、ずっと仲間に入れなかった。それでいて、男子のグループにもなじめなくて 孤独だった。今日は、生まれて初めての女子会です。ありがとう。」と、ユキナさんがしみじみとつぶやいていて、こっちまでしあわせな気持ちになりました。

また会いたいね、おたがいにがんばろうね、と手をふって別れました。

それから、半年後のことでした。取り交わしたアドレスでメールのやりとりをしていたユキナさんからメッセージが届きました。

「勇気を出して、カミングアウトしました。職場で、地域で、これからは、女性として、生きていきます。」ユキナさんもまた、本当の人生への一歩を踏み出したのでした。

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です