「イベント家族」からの逃走(!)

「連休、どこか行きますか?」「休みはどうしますか?」そんな会話を聞きながら 子どもが小さかった頃は、頑張ってあちこちに遠出していたなあと思います。

でも家族4人とも社会人になったばかりの今年の気分は、「休みは休もう」と思います。「ただ休みます」それが理想の連休の過ごし方です。

私の連休は、朝寝坊をしたあと、おそく起きて、冬物を洗ったりします。そして以前からゆっくり読みたいと思っていた本を、読み返したりしています。

帰省した息子と娘は、毎日朝寝坊を満喫し 聞きたい曲を聞き、ときどき友だちや、おばあちゃんに会いにでかけます。「なかなか手に入らない」と おばあちゃんが欲しがっていた 地元のレアなワインを探し出して「初任給でプレゼントだよ」と二人で届けたり。

夫は 久しぶりに庭仕事に精を出しました。雑草と格闘した達成感をみんなにアピールしています。すごいねってみんなでほめます。

一日おでかけもしましたが、やっぱり人の集まる場所よりも、家のほうがいごこちが良いと感じます。それを実感しながら 残りの一週間、「ゆっくりする日」を楽しんでいます。

こんな風に「自分のしたいように今日を過ごす」ということができるようになるのにも、私には、ある種の決断が必要でした。

「自分のしたいように過ごす」ためには、「行きたくない場所には誘われても行かない」というひとてまが必要です。

私の場合は「実家からの集合命令」を断る というひとてまでした。ひとてま、なんていう生易しいものではありませんでしたが・・・。

実家は、「ハレの日」が大好きな「イベント家族」でした。

年末年始や盆暮れや、冠婚葬祭などの親戚付き合いに対して「絶対参加」を高く掲げる家族でした。「全員集合する家族」が両親にとって何よりも大切なようでした。

毎回みんなが顔を揃えるたびに、父は人数を数えます。娘の夫、その子、その子の夫、ひ孫と、とにかく多人数が揃ったことを確認し、自分の家の繁栄を誇るのでした。

5月の連休が近づくと、母から「いつ帰るの?」と電話がかかってきたものです。そこに「帰らないかも」という選択肢は、含まれていませんでした。

それでいて両親は「なんでもない日」に ふっと私が実家に帰るのをあまり歓迎しませんでした。ときには実家に帰って、何にもしないで、ただ休みたい、そう思う日もありましたが、そんなことはさせてもらえません。「ひとりで帰ると近所の人に変に思われるでしょ」と母は言いました。「帰ってくるときはちゃんと夫婦そろって仲良く帰りなさい。」母にとって大切なのは世間体でした。だから一人でふらっと帰ってくる娘を母は嫌いました。

母は私が実家に帰ると、必ずみんなを呼び寄せ、大人数で私をむかえるのです。だから私にとって「ただ休むだけの帰省」は一度もなく「帰省というイベント」になってしまうのでした。こうして休日は、私にとって「休む日」ではなく「休めない日」になったものです。

そうするうちに、そもそも私にとって実家とは、どこにも「心の休まる場所」なんてなかったことに、何度も何度も気づかされるのでした。

イベント家族、落ち着かない家・・・いつも大勢(泣)。

母は、もしかしたら、私と一対一で向き合うのが苦手だったのかもしれませんね。(笑)

「イベント家族」で、困るのは、その「非日常」を大切にするあまり「日常」が犠牲になることです。

たとえば、子どもの入学試験の直前だとしても、親戚の集まりに顔を出し、受験そのものを酒席の話題として提供すべしという空気がありました。日ごろの生活の忙しさに疲れ果て「今回は帰省しない」という一言が許されない空気もありました。「同調圧力」ということばを、家族に対して感じ始めたのは、そのころからです。

いつしか私は 帰省を重く感じるようになりました。

親戚づきあいを深めるのは悪いことではありません。ただ、それが「自己決定」~自分のことを自分で決めること~よりも優先されるべき、というのは、なかなか息苦しいものです。

波風がたたぬよう、支配を受け入れ、「自己決定」を放棄することで、失うものが積み重なっていきました。やがて 私の子どもたちの「自己決定」までをもって行かれそうになったとき、さすがに目がさめました。

「実家で大切にされる人になりたい」という長年の夢を手放そうと思いました。それはそんなに価値のある夢だったのだろうか?、それはもう捨ててもよい執着だったのではないだろうか?と。

「この実家はもういいな」「私の戻るべき家ではないなぁ」と、しずかに私は諦めはじめました。

そうして 実家に「なにがなんでも帰省させられる」ことを少しずつお断りするようになり、自分の過ごしたいかたちで日々を過ごしはじめたのでした。

当然両親や姉たちからの抵抗はありました。家のルールを、私だけが破ったのですから。

2人の姉は、今も両親の集合命令に従い、かれらの望むイベントをこなし続けているようです。彼ら自身が幸せなら、それもいいと思います。

世界中の誰から悪く言われようとも、したくないつきあいをお断りする、それが普通になってしまえばこっちのものです。いまの私は、なんの言い訳もしないで、自分の過ごしたいように休暇を過ごすことができます。

アドラーの言う「嫌われる勇気」を持つことで、人生は自分のすごしたいように過ごせる日の連続、となりました。それがどんなにしあわせで、ありがたいことかを私は知っています。

今日も良い天気。休んで、休んで、洗濯ものも からっと乾いて、庭もきれいになりました。私は、いま、ここを生きています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2 Replies to “「イベント家族」からの逃走(!)”

  1. まさしく私は今、その気遣いの中にいます。状況は少し違うけど(夫の実家です。)行く?行かない?今日は行きたくない・・・。でも行かないとだめかなあ・・・。なんともつかれる自問自答をしょっちゅう・・・。嫌われる勇気・・・ですよね。

    1. 嫌われる勇気、とまでは行かなくても、習慣を更新する勇気、という考え方もあると思います。
      長年、大晦日に夫の実家に泊まっていた私が、あるとき、今年は我が家で過ごしましょう。お義母さん、一緒にご飯食べましょうよ!って逆にさそったら、これ楽でいいわぁって、意外と喜ばれたのでした。
      時には年越しを家でしないで
      温泉に泊まったりしてね。お義母さんも私も楽をしてね。
      何が何でも昨年通り を踏襲するのは我慢比べのようで息苦しいから、お互いにどんどん楽をしましょうよ。と言うのが我が家の空気です。
      親戚づきあいがもっとカジュアルになれば、世の中もっと生き生きするのではと思うのは、わたしだけでしょうか。

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