後悔しても

「後悔のない人生の秘訣は『決して後悔しない』と決めること」という言葉に出会ったのは、ごく若い頃でした。誰の言葉だったか思い出せませんが、当時の私は、人生の決断をする必要に迫られており、背中を押してくれたこの言葉を、今も忘れることはありません。

そのころの私は「結婚」を決めようとしていました。それまでも、進学や就職などの重要な選択はありましたが、親や学校の先生の意見に従い、与えられた助言をおとなしく受け取り続けてきただけでした。「結婚」だけは、親の言いつけ通りに、ことは進みませんでした。こればっかりは、結婚相手と言う「他者の意向」が必要だったからです。

失恋や見合いの失敗を経て、生まれて初めての「自己決定」に踏みだしたのが「結婚」でした。お仕着せに馴れきっていた私は、初めての「自己決定」の先にある「自由さ」と「すべてを引き受ける覚悟と責任」に、とまどいを感じていました。そして、考えたのです。「なにがあっても引き受けよう。『決して後悔しない』と決めるんだ」と。

あれから30年が経ちました。子どもを授かり、フルタイムで働きながら育てる中で、何度も何度も 信じられないような失敗や、挫折が訪れました。「あのときああすれば」「これはダメな選択だった」と思いそうになる度に「後悔しない。」「これもまた必要な経験のはず。」「過ぎてしまえば、きっと家族の思い出話になるはず。」と、自分に言い聞かせて「後悔」を封印してきたのでした。

そして実際、どんな失敗も挫折も、過ぎてしまえば「家族の思い出話」に変わってくれました。

そんな私でしたが、最近ふと「少しくらい『後悔』してもいいかな」と感じています。

一年半前に契約した新しいクルマは、納車遅れのまま、まだ届きません。前のクルマを手放し、自転車で通勤する毎日のなかで、だからこそ出会える風景もありました。たしかに体幹も強くなりましたが、交通事故にも遭いました。そんな中で常に「後悔しないぞ!これで良かったんだ!」と自分にいいきかせることに、疲れてきました。

前のクルマを手放すタイミングを間違ったかな・・・。と、小さな判断を「後悔している自分」がいます。「後悔禁止令」を守り続けて来た私のメンタルにも、さすがにちょっと、ほころびが出ているのでしょう。

「後悔」というこころもちをめぐって、こだわり続けてきた自分を思います。すべての判断を、選択を、決定を「決して後悔しない!」と決心して歩んだ自分の人生をふりかえります。それはそれで悪くなかったけれど、「後悔禁止」を返上し、「あ~あ ばかなことしたかも」と後悔してしまう自分もまた、悪くないと感じているのです。

後悔しても、落ち込んでも 自己否定しても、そんな自分すら悪くないと感じます。ダメな自分でもいいんじゃないかな。判断を間違えることが、これから増えてきたとしても、そんな自分も愛しく許しながら、ゆっくり歩いていこうかな と、最近は思っているのです。

 

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