幼なじみの男の子

「かわいい」とは「相手をおびやかさないこと」・・・この春、上野千鶴子さんが語った、「女の子たち」が、親から「翼を折られ」てきた という言葉に、自分の若い時代をふりかえった女性も多かったのではないでしょうか。

十代前半のころの私は、いつも張り切っていました。「すごい」と言われる子になれば、家族から認められると信じて、学校や部活動で、いつも活躍の機会をとらえようとしていました。

もちろん不得意なことは多かったけれど、(たとえば音楽の時間、はりきって歌う私に、先生は『あなたはちょっと小さい声で歌ってね』と優しく注意してくれたものでした。たぶん とんでもなく音を外していたのでしょう)児童会とか生徒会とか運動会の応援団員とか、「立候補しませんか」と言われれば、はりきって立候補したものでした。いわゆる承認欲求が人一倍強かったのでしょう。

そのころの私は「男勝りの子」と言われていました。同級生の男の子たちからは けむたがられていたようでした。そんな私にいつも先生たちは「あなたは女子だから、副会長ね」と付け加えていました。副委員長、副団長、副会長・・・常に私が期待されていたのは、男子のリーダーを後ろから支えるスーパーサブになること・・でした。女の子は、気がきいて、有能でありつつも、男の子より前に出ないで働くことが期待されました。

そのころの私のパートナー、つまり、委員だとか会長だとか、リーダーに任命されていた男子に対して、私は嫉妬と期待と失望の入り混じった、どこかイライラした感情を常に持っていました。いじわるを言ったり、失敗の揚げ足をとったりしていました。嫌な女の子でした。

そんな男の子のひとりに、幼なじみの彼がいました。家が近いため、低学年のころはよく土手道を一緒に帰りながら、読んだ本の 物語の話をしました。彼の家にはうらやましいほど膨大な量の、児童向けの本があったのでした。

彼は四人兄弟の末っ子で、上の三人は、すべてお姉さんでした。「待望の男の子なわけだね」と、近所の大人たちは彼をそう噂しました。あきらかに彼は、親の期待を受けて育った、待望の男の子、でした。

実は私たちは、あの「地獄の教室」をともに生きた同士でもありました。放課後の罰掃除をしていた私に、ひどい言葉を 棒読みで投げかけさせられたのは、ほかならぬ彼でした。

高校生になったとき、放課後、文化祭の計画を練るために、数人で教室に残って話をしていたときのことです。なにかの拍子で私に未来を問われた彼は、私にこう言いました。「この町を 早く出たい」と、吐き捨てるように、心からの声で。

私は、そのとき、意外な感じがしました。彼に何の不満があったのでしょう。待望の男の子として、たくさんの期待とお金をかけてもらえる彼の気持ちが、当時の私にはわかりませんでした。

「お前にかける無駄金は10円でも惜しいから」と父に宣告され、私は高校に入るときから「滑り止め」という受験をさせてもらえたことが一度もありません。そのころの我が家は、成人式のための振袖を上の姉のために買ったから、上の姉が一年間の予備校寮生活を経て大学に進学したから、うちにはお金がないのだと、私はむりやり自分を納得させていました。その振袖の丈が、大柄な私には一生着られないサイズだったことや、二人目の姉が、私の高校受験の同じ春に「滑り止め」の大学を受けさせてもらっていたことを思いかえしても、どう考えても私にはあのころ「自尊心」というものが欠けていたのだとしか思えません。私は怒るべきところで怒ることができず、代わりに「私が男の子に生まれなかったのが悪かったのだ」と自分に言い聞かせていました。

だからこそ、その幼なじみの「末っ子長男」の彼に、心のどこかで嫉妬していたのでしょう。そして、その彼のいらだちを理解することもなかったのでしょう。

結局彼は、高校卒業とともに遠くの町へ行き、二度と帰りませんでした。私もまた、実家を離れたまま、遠くの町で、実家で過ごした年数をはるかに超えました。

「翼を折られた」のは女の子だけでしょうか。男の子はどうでしょうか。彼の翼には、丁寧に縫い付けられた、期待という名の重石がいくつもぶらさがり、彼の顔つきを暗くしていたように見えました。

あなたは女子だから副会長ね、そう言われたあのころ、彼はきっと「あなたは男子だから、女子の上に立たなければ」という圧力を受けていたのでしょう。選ぶ自由を奪われていたのは、女子も男子も同じだったのかもしれません。

このごろ、私は思い返すのです。今までの生涯で、私が見かけた様々な男の人たち、・・・ハラスメントを私に向けた高圧的な上司、攻撃性のある男性の同僚・・「女なんかに負けない!」と肩に力の入ったような人生を生きて、どこか苦しそうな男の人達の姿を。

彼らは、「いたかもしれない もう一人の私」です。もし私が、両親の望み通り 男の子に生まれていたとしたら、その私もまた、翼に、親の期待を縫い付けられ、女の人を見下すことを教えられ、あんな風な男の人になっていたにちがいないと思います。

そう気づいたとき、嫉妬も怨みも消えていくような気がするのです。男でも女でも、偏見によって苦しめられてきたのはお互い様だと。

性別で価値は決まらないのです。それが偏見だったと気づくときに真に得られるのが本当の心の自由であり 幸せなのでしょう。もし私が男として生まれて。53年間、こうして生きていたら、そのもう一人の私は、いまごろ この真実に気づいているのでしょうか?

女性として生まれたからこそ、上野千鶴子さんに見えた地平があるように、いま私に見えている真実は、もう一人の私には見えていないかもしれませんね。

上野さん、そう思いませんか。

 

 

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