犬と暮らせば  その4

2003年の春、長いこと子どもたちが欲しがっていた 黒に白いマフラーを巻いた、牝のボーダーコリー犬を迎えました。子犬をペット店から連れて戻ったときの気持ちは、産後自分の赤ちゃんを連れて家に戻ったときの気持ちによく似ていました。とてもデリケートだから大事にしないと病気になったり死んでしまったりするでしょう。環境の変化で夜泣きをしたり、粗相をしたりもします。ドックフードにミルクを混ぜて、やわらかくして食べさせると、よく眠って、よく出して、よく鳴きました。家族会議で、「ベル」と名付けることを決めました。そのころ家族で繰り返し見ていた「美女と野獣」の主人公の名前でした。

少し大きくなると、庭に出て、思いっきり走り回るようになりました。牧羊犬の犬種のベルは。羊を追いかけるため遺伝子に組み込まれた機敏な動きで、庭の子どもたちや、フェンスの向こうの子どもたちを追いかけ、びゅんびゅん走りまわっていました。

白と黒の長い毛足の鮮やかな毛並みはつやつやになり、青みがかった白目に、人間のような黒目の美しい瞳をしていました。なにも教えなくても 投げたフリスビーをフライングキャッチして戻ってきました。犬好きな夫と子どもたちは、大喜びでベルと遊びました。生きるエネルギーのかたまり、ひとことでいうとそれがベルでした。

ただ、私だけがそのエネルギッシュさに圧倒されていました。初めて飼い主になった私は、内心緊張して おっかなびっくり犬に接していたのです。

「人間に吠えかかったりかみついたり、押し倒したりマウンティングしたりするような犬にはなってほしくない」それだけは絶対に避けたいと思いました。

「犬の飼い方」という本を買って読みながら、とにかく人間に逆らわないように、犬が人間の上にたったりしないように、一生懸命に「しつけ」ました。

その結果、ベルが成犬になるころは、すっかり人間に対して従順な犬になりました。

4人家族がご飯を食べていると、窓とウッドデッキの境目の敷居ぎりぎりまで来て、ベルがちょこんと座っていました。少し首を傾けて、耳を澄ませるような顔をして、永遠に命令を待っているような、その姿が、いまでも目の中によみがえってきます。

「かわいいね」「最近少し肥ったね」「動物病院の先生がダイエットしなさいって」「えさを減らさないとね」「今日のえさ当番、だれ?」・・・・。

私たち家族は、ベルを家族の一員の、一段低いところにおいて、気が向いたらかわいがり、退屈しのぎに声をかけたり、からかったり、みんなの話題にしたり、目の前で噂をしたりしました。

当然ですが、私は 犬には意見を求めることもないし、そもそも自分たちの会話が理解できていない、という認識でベルを扱っていました。

私にとって、犬とは、そこにいながら意思のない、こころをもたない存在にすぎませんでした。

だから夫が、いつも「ベル、ベル」と呼びかけ、ベルに語りかけたり、ベルに問いかけたりしているのを見ても、とても真似はできませんでした。夫が家族に「みんな もう少しベルの気持ちを考えろ、一日中留守番して、退屈に堪えて家族を待っていたんだから、もうちょっとかまってやれ」と説教しても、「ベルの気持ち」を実感を持って想像することはできませんでした。

ベルを喪って何年も経ちました。このごろやっと わかったことがあります。

「そこにいながら、こころを持たない存在」なんていない、ということに。

ベルは、我が家の五番目の家族でした。家族の最下位でした。そんな存在は、ときに「意思を持たない存在」として、かわいがられ、からかわれ、軽んじられ、本人の目の前で噂されるような存在になることがあります。「にんじん」を書いた、ジュール・ルナールのように、実家での私のように。それを、家族のストレスや退屈を引き受ける、「スケープゴート」と呼ぶ人もあるのでしょう。

ただ、ベルは、ジュール・ルナールや私とはちがい「自尊心を守るために 家を出ていく」ということをしませんでした。

ベルは最後のときまで何も言わず、暑いとも寒いとも苦しいとも言わず、ただ黙って家族を待って、愛して、死んでいきました。

この世に「赦す」という言葉があるとすれば、犬たちほど、すべてを赦したまま死にゆく存在はないのではないかと思います。「すべてを赦す生き方が一番尊い」という考え方が真実であるならば、彼らほど尊い生き方はないと思います。

 

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