フィンランドのかがやき

34歳の女性首相がフィンランドで誕生したニュースに、クリスマスプレゼントのようなヨロコビを感じたのは、きっと私だけではないと思います。フィンランドにとどまらず、きっとじわじわと、世界を未来へと変えてくれるような気がするのです。

サンナ・マリン、1985年生まれ、本人が幼い時に、アルコール依存の父親と離婚した母親と、母親の同性パートナーの女性との『レインボーファミリー』のなかで育ち、苦学しながらも大学で修士号を取得し、27歳で政治家になったそうです。すでに一児の母であり、子育てと国家のリーダーを抵抗なくこなしそうな笑顔です。なんてすばらしい、未来からやってきた奇跡のようなニュースです。

彼女の笑顔を見ながら「この人を”あの”教育環境が育てたのだ」としみじみ思いました。本人も自身のことを「福祉制度と教師に救われた」と述べているそうです。1991年、マリンが6歳の年に、ソビエト連邦が崩壊し、混乱と経済不況のなかで改革を断行したフィンランドの教育制度は、最も新しい考え方で、しなやかで、子ども達の脳とこころを育てる科学的で平等なシステムだったのです。

2015年公開のドキュメンタリー映画『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』の中で、監督がフィンランドの教育現場を突撃し、フィンランドの学業成績が、なぜ世界トップレベルなのか、その謎をリポートしています。このときインタビューに応じていたフィンランドの教育大臣に「若い女性だな」という印象をもったのを覚えています。その映画で取り上げられた「フィンランドの教育」の他国との違いをいくつかあげてみたいと思います。

その1 フィンランドの小学生は、世界で最も授業時間が少なく、「脳を休め」「自由に遊ぶ」時間を与えられている。それが科学的にも、学びの活力になると考えられている。

その2 フィンランドでは、宿題も、全国統一学力テストも、禁止されている。だから、子どもたちは競争に煽られることもなく、自由時間や睡眠時間を削られることもない。

その3 フィンランドでは、私立学校を設立することが禁止されているため、すべての子どもが公立学校に通い、すべての公立学校で充分な設備と高度なスタッフが保障されている。どんな裕福な親も、公立学校に子どもを通わせ、多様な他者との共存をさせることになる。

その4 フィンランドでは、「教育は子ども自身の未来の幸せのため」という考え方が徹底されているため、教育をビジネスの手段とすることを禁止されている。

初めてこの事実を知ったとき、目から鱗が落ちるような衝撃がありました。同時に、私たちの国の、教育にまつわるさまざまな問題の原因が、一気に解き明かされたような気持にもなったものでした。

まず、「教育現場は、子どもの脳と心を疲弊から守り、休ませ、育てなければならない」という科学的な気づきを与えられたことです。子どもを追い込み、競争させ、小さな勝ち負けに一喜一憂させることは、その子の脳にとってプラスにならない。真に子どもの幸せを考えるのであれば、競争よりもむしろ、「多様な他者との共存」のこころを育てた方が良いのではないか、と気づかされました。

映画の中で、アメリカでの教育実習を経験したある若者が「アメリカでは教育はビジネス(お金儲け)だ」とつぶやく場面があります。フィンランドでは「教育は子どもの未来のしあわせのためにある。決してビジネスにしてはならない」という、強い決意を、教育現場の大人たちが持っています。「子ども本意の教育」が、実は「国家100年の計」として、やがて国を発展させるという確信が、彼らには見えました。教育大臣はつぶやきました。「我が国が国際検定で何位であろうが気にしない。教育は競争ではないから。」。

日本の教育はどうでしょう。「日本の教育は、親の経済格差が、そのまま教育格差につながっている」と言われていますが、それはつまり、「お金のない人は、高度な教育を受けることができない」ということを暗に示しています。

日本の文部科学大臣の「身の丈」発言に、多くの人が怒りを覚えたのは、「教育の機会均等」(どんな境遇の子どもも、同条件で教育を受けることができる)という民主国家の大前提を、守り進めるべき大臣が、その使命と裏腹に、まるで「教育格差は当然あるよね」とでもいうようなようなつぶやきをもらしたからなのでしょう。彼は一度、マイケル・ムーア監督のドキュメンタリーを見て、フィンランドの教育大臣の、子どもたちへの思いと、その使命感への気迫を見習った方がいいのではないかと思います。

「教育がビジネス(お金儲け)の手段となってしまっている」のは、アメリカだけではなく、日本も同じでしょう。ここ数年で、加速度的に日本の教育現場は、民間企業の市場となりつつあります。「教育の民営化」がしのびよってくるようです。「教育の市場化」で一番怖いのは、民間企業の利益のために、「子どもたちの 子ども時代」が吸い取られることです。「これを使わないと競争に勝てませんよ」というセールストークに乗せられて、より不安に、よりナーバスに追い込まれた親子が、どんどんお金を出させられて、時間を吸い取られて、2度と来ない「子ども時代」を差し出してしまう。相手はビジネスのプロですから、かなうはずもありません。まるで、ミヒャエル・エンデの『モモ』に登場する「時間泥棒」の男たちのように、巧妙に、周到に、子どもたちの時間とお金を吸い取っていくのです。しかも、それを買うお金のない人には、その機会が与えられないという不公平や、同世代同士の分断を産みだすのです。

東京都立高校の入学試験の英語スピーキングテストを、ベネッセが入札したと聞いていますが、大学入試制度もまた、民間企業が入札して、ビジネスチャンスにしようとしています、民間企業がコストカットしながらしゅしゅっとこなす大学入試なんて、ちょっと受け入れられません。私が受験生だとしたら、許せないと思います。

やっぱり「教育は国家百年の計」なのです。コストカットやビジネスチャンスになんて姑息なことを考えていたら、必ず未来にそのつけがまわることでしょう。百年どころか十年もすれば、受験生は大人になり、国家をひっぱる政治家になっているかもしれないのです。格差社会ではなく、平等な教育の機会均等から生み出された、フィンランドのサンナ・マリン首相のような国のリーダーが誕生してこそ、日本人は自分たちの社会を、教育制度を、世界に誇ることができるのだと思います。

北の果ての小さな国、オーロラと白夜とムーミンと、サンタクロースとトナカイの住む国、行ってみたいけれどなかなか遠い国、フィンランドが、光を放ちながら私のこころ一杯にひろがっています。

 

 

 

 

 

2 Replies to “フィンランドのかがやき”

  1. ブログを拝見し、共感するところが多々ありました。
    私はフィンランドに少し縁があります。…15年前にフィンランドの高校2年生のペッテリという若者をホストファミリーとして1年間受け入れるという経験をさせてもらいました。言葉の違いや文化の違いがある中、1年間一緒に暮らすとすっかり家族の一員となりました。
    数年後にそのペッテリが住むフィンランドに行ってきました。夏休みの時期だったのですが、あちらの中学校や国家教育省⁈も視察しました。また子ども(ペッテリ)に会いに行きたいなぁっていう思いが膨らんできたところです。

    1. s・kさんへ
      フィンランドの高校生を迎え、夏のフィンランドに会いに行く、・・・。本当に羨ましいです。
      しかも国家教育省や学校を視察とは!
      s・kさんのおかげで、何だか遠く感じていたフィンランドが、ぐっと近くなったような気がします。
      いつか行きたい、その日に向かって日々を一歩一歩歩いていきたい、と言う気持ちが生まれてきました。
      コメントありがとうございました。これからもチェック&シェアをよろしくお願いします。

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