自分レスキュー その2(ラプンツェル、髪を切る)

はるさんは町から少し離れた山里に、パートナーの「ダイキさん」と、猫とともに移住して暮らしていました。臨床心理士として働きながら、こどもたちのための研究所の所長もし、一方で、海外や全国に出かけて、心理療法を学び続ける人でした。多忙な彼女に、個人的な申し出をひきうけてもらった私は、ある意味、幸運だったのかもしれません。

彼女が指定したカウンセリングルームは、山里にある、廃校になった小学校の木造校舎を再利用した場所でした。まるで映画のロケ現場のような板張りの、長い木張りの廊下に、ゆがんだ硝子を通して、やわらかい日差しがさしこんでいました。木製の戸をガラガラと開くと、そこには、昔の教室いちめんに、やわらかい畳をしきつめた空間がひろがり、異次元のような、でも不思議と安らいだ空気を作り上げていました。

 

それまでの3年間、私は日々を張り詰めた思いで生きていました。親と自分との間に起こったことを、「大人として恥ずかしいこと」と思っていました。「親に反抗して絶縁してしまった」「実の親に疎まれて勘当された」などと人に知られれば、「いい年をして」と人から呆れられ、あるいは人の道を説いて説得されると思っていたので、誰にも知られないように、素知らぬ顔で生活していたのです。

ですから、それまで人に隠すことに疲れた本当の気持ちを、はるさんに打ち明けたときは、まるで張り詰めた糸が切れたように涙があふれて止まりませんでした。

彼女は、「ひとりで頑張ったね。これからは楽に生きていきましょうね」と言いました。その日から、私の「自分自身を救出する日々」が始まったのでした。

 

彼女は、こころの傷をいやす『再決断療法』という方法のひとつとして、『チェア・ワーク(椅子の療法)』を提案してくれました。幼いころの「忘れられない瞬間」にさかのぼり、部屋の中に並べた『椅子』を、その時のキーパーソンに見立てて、語りたかったことばを伝え、まちがった自分へのメッセージを手放していこうという方法でした。

それはまるで、「こころの中」という湖の水底に向かって、はるさんと二人で酸素ボンベをつけて降りていき、「幼かったころの、両親や姉たちに嫌われていた私」を助け出しにいくような作業でした。

 

まず私は、小学生の私のところに行きました。長時間にわたって父から怒鳴られている現場です。実際は、私の周りに、椅子が並べられていただけなのですが、私には、本当に恐ろしい父がそこにいるように思えて、顔をあげることもできず、涙があとからあとから流れ、震えていました。父の後ろの方で、2人の姉が、冷たい目で私を見ていました。

母は、少し下がったところで、失望の色を顔に浮かべ、けわしい顔で私を見ていました。

 

はるさんは、両親と私の間に体を入れて、私の肩を抱きながらこういいました。「こんな小さい子どもに対して、わけも聞かないでそんな大声を出すなんて、あなたの方がまちがっています!」「この子はあなたの持ち物じゃありません。」「この子は私が守ります!」

小さい子どもの心の私は、味方になってくれるはるさんに促され、少しずつ勇気を得て「怖い。嫌だ。そんなに怒らないでちゃんと語りかけて。さみしい。悲しい。」という心を吐き出すことができました。そしてそれを優しく受け止めてくれる人に肩を抱かれて、しばらくの間、子どものように泣きました。

 

はるさんは、棒で、かれら4脚の椅子と、私の間に、ざっくりと線を引きました。私の目の前で、私は、長い間こころを支配されてきた、実家の家族4人と、自分とが、ホールケーキの様に「切り分けられる瞬間」を見たのでした。私は、はるさんに棒をもらって、自分の手でも、線を引き、かれらと自分を切り分けました。

その一連の作業が終わると、私は、嘘のように涙が止まり、すっきりとした気持ちになっていました。

体が少しふわふわとしていました。その日、家に戻ると、長年の不眠による、身体のすみずみのしこりのような疲れに、身体自身が気づいたような、猛烈な眠気が襲ってきました。そして私は、遊び疲れた子どもの様に、深い眠りに落ちていったのです。

 

「塔の上のラプンツェル」というディズニー映画があります。偽の母親に心を支配され続けた主人公が、長い髪をばっさりと切った瞬間、すべての呪いが解ける、という場面があります。母親からの呪いが巧妙で重苦しかった分、ラストに向けてのカタルシスが凄い作品です。

 

初めての心理療法を体験したあとの私は、時間がたつごとに、自分が今まで彼らに、どれだけ人生を差し出してきたかということに気づいたのでした。ことあるごとに心の中で、家族の視線を感じていました。何かに挑戦したり、発言しようとするたびに「しゃらくさい真似をして」という声が聞こえてきました。私をチェックし、ジャッジし、おとしめながら「お前は無能だから私たちが守ってやる、ずっと家族の最下位でいるように」という家族からのメッセージを、大人になってからも受け取り続けていたのは私でした。家族という呪縛を何よりも優先し、大切なはずの自分を、ひどく無価値なものとして、粗末に扱ってきたのは、ほかならぬ自分自身だったと気づいたのでした。

「呪いは、解けた瞬間に初めて、自分が呪いにかかっていたことを知る」ということを、私は初めて知りました。

私は、彼らと自分との間に、ざっくりと線を引いて、「私は私だ」という人生を選ぶことを再決断したのです。「私の人生は私のものだ。これからは自分のことを自分で決めることができるんだ。」という、人として当たり前のこころを、私は50年目の夏に、やっと手に入れたのです。

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