フェルメール展で感じたこと(刹那と永遠)

上野の森美術館でのフェルメール展が、今度の日曜日に最終日を迎えるそうです。2月から大阪で公開されるということです。

12月に東京でのフェルメール展に行きました。絵が大好きなおばあちゃん(義母)に喜んでもらおうよ、という、みんなの一致した意欲で、関東に住む息子も、関西に住む娘も九州に住む私たち夫婦も東京に集まり、美術館巡りをしました。久しぶりに家族が集まり、ひとときを過ごす、いい口実になりました。

旅の2日目、朝から上野の森の行列に加わりました。こういうときに並ぶ行列は、不思議なことに全然苦痛を感じません。

見知らぬ者同士が、あこがれの美術品を見たいと言う共通の願いを胸に、行儀よく行列を作ります。まるでフェルメールという共通の何かを信じる信者同士のような気持ちになります。心はまるで「フェルメール祭り」みたいに浮き立って、小さな声で冗談を言い交わしたり、それがおかしくて笑いをこらえたりして。

フェルメールの作品を、教科書や美術誌で見たことはあっても、実際に本物を見るのは生まれて初めてでした。頬や髪や瞳のかがやき、布地のひだ、ガラスの透明感、反射する光の粒子のひとつひとつが細密に描かれています。

この世界の美しさを、そのモデルの人生の一番美しい一瞬を、画家は目に焼き付けて、その一瞬を封じ込め、350年間もの長期保存をかけたのでした。

画家も、この部屋も、この空気も、このモデル達も、もうとうに失われているはずなのに、いま目の前で、こんなに輝きを放っているのです。

芸術は、刹那と永遠をあやつる魔法だと、改めて思います。

しあわせな旅でした。生きててよかったなと思えるくらいの。

あの旅の時間も、心の中で色あせずに何度も輝いてくれます。

旅はいいものです。ずっと心を温めてくれます。

 

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