『今年の秋に沖縄に行こうよ』と娘から誘われたのは6月のことでした。
そこに「線」はなかったのに。
自宅に籠り、仕事を休む毎日が続いています。先日、夫の身体に微熱とコロナウイルスの陽性反応が出たため、体調に問題のない私も、濃厚接触者として、外出や出勤を控えることになったのです。
「インナーチャイルド」への贈り物
初めての「リカちゃん人形」を買いました。夏の帽子をかぶって遠くを見つめる姿に、いまにもまっすぐ歩き出しそうなパワーを感じます。大人になった自分から インナーチャイルドの自分への贈り物をしたのです。
不安定な社会情勢で、多くの人が、「癒し」を求めているようです。日々を何気なく生きて来た私もまた、自分の中の「心の底に棲む子ども=インナーチャイルド」のケアをしたいと思います。
生きてきたわけじゃない
事故からちょうどひと月経ちました。体には、まったく後遺症はありません。ただ、あの日に感じた「ちがう世界に迷い込んでしまったかのような」心の変化はおさまる気配がありません。
マブイを落としてしまいました。
自転車通勤を始めて、もう一か月が過ぎました。納車の遅れたクルマを待ちつづける日々、自転車のペダルをこぐ17分の通勤路にも、慣れました。
その日は4月22日の金曜日の朝でした。一週間の仕事で少し疲れを感じていました。
つめこまれた仕事の内容が混み合いすぎて、どう頑張っても「不可能」な一日でした。せめて今日は早めに出勤しようと、いつもとは違う時間帯の通勤路を走っていたのです。
その朝のことを思いだそうとすると、不思議なことに、なぜか「パラレル」という言葉が浮かぶのです。
「素焼き」のころ
こねた粘土を、お皿のかたちにし、サンドペーパーで磨いたあと、いちどしっかりと焼きます。高温になった焼き釜が、何時間もかけてゆっくりとその温度を下げ、50度以下になるのを待って、やっととりだすことができるのです。
「素焼き」と呼ばれる、そのお皿たちを、一枚ずつ丁寧にとりだす作業が好きです。冷えた手をあたためるお皿のぬくもりと、すべすべの手触りが優しい、至福の瞬間です。
なにより私の目を惹きつけるのは、素焼きの色の、ほれぼれするような美しさです。 “「素焼き」のころ” の続きを読む
「早期決断」を手放すということ。
久しぶりに帰郷した息子とともに、ドライブがてら、近くのワイナリーに出かけることになりました。助手席に息子を乗せ、愛車のエンジンをかけた瞬間、ふと自分のETCカードを失くしたことに気づきました。財布の中にも、カバンの中にもありません。あわてふためいて、エンジンをかけたまま、自宅に戻って探しまわっても、どこにもありません。半ばパニック状態に陥りながら、大切なカードを探し回る私に、息子は言いました。「まずはとにかく、一回落ち着いて。ETCカードは俺のがあるし、運転も俺がするよ。そんなに動揺して運転したら危ないからね。」そうして息子は、運転を代わってくれました。
夏の思い出 その1 「野性」の発見
夏が終わりました。騒がしい世界のはしっこの、九州のかたすみで、日々を淡々と送りながら、過ぎたいくつもの夏が、ときどき心に浮かびました。
家にこもるのに疲れた日は、山に行きました。人のいない九州の山々、クルマで2時間も行けば、標高が高く温度も空気感もがらりと違う高地にたどりつくことができます。
ふと思いついて、小学6年生の夏の、思い出の場所に行ってみました。かつて集団宿泊施設としてさかんに利用された「青年の家」です。人けはなく、立ち入り禁止のロープが張られて閉鎖されたその建物は、子どもの頃に見た、あの威容も活気もありませんでした。それでも周囲の山々や、自然散策コースなどは、あの日のままの姿で、この場所に、40年以上の時を経て戻ってきた私を迎えてくれました。
1977年、夏休みを控えたある日のことでした。小学生の私はバレーボールチームのコーチに呼ばれ「スポーツ少年団の合同キャンプに行くように」と言われました。
「恐怖」を克服する方法(自分レスキュー4)
仕事に向かうとき、少し「怖さ」を感じるときがあります。たとえば「クレーム処理」や「謝罪」が、今日の仕事だったりする日は、「今日は失敗できないな」と自分にプレッシャーをかけてしまい、「怖さ」に体が硬くなり、表情が暗くなることもあります。そんなとき、数年前、はるさんから「恐怖を克服する」チェアワーク(椅子の療法)をしてもらった日のことを思いだします。
家の中のキャンプ生活
寒い朝、聴きなれない音で目が覚めました。何だろうと窓の外を見ると、一面の雪景色の中、子ども達が集まって雪を集めています。九州地方の冬に銀世界は珍しくて、普段なら子ども達は雪だるまを作ったり雪合戦を楽しんだりとめったにできない雪遊びに興じるはずなのに、なぜか今日の彼らは、まじめに雪を集めています。その風景に違和感を覚えました。
「自動更新」された人生
秋空が心地よい週末 門司の街を久しぶりに歩きました。
この街は、九州の鉄道の終点の駅として、そこから世界に船出する海の玄関口として、長く繁栄の歴史を誇りました。近代文学やノンフィクションの舞台として数多く登場する、いわば物語の『聖地』でもあるのです。街のいたるところに残された古い倉庫群や煉瓦造りの豪華な洋館が、在りし日の この街の豊かさを物語っています。
森のワイナリー
久しぶりに地元のワイナリーに行きました。深い山の中に忽然とあらわれるその「葡萄酒工房」は、森全体の樹々を、ヨーロッパのワインの産地から連れてきたという噂のとおり、足を踏み入れた瞬間に、国籍不明の森がひろがり、樹々の生みだす新鮮な空気に、発酵したぶどうの香りが混じりながら、独特の風を吹かせています。
人生を照らす炎 その「種火」の話
以前、「大切な出会い」というタイトルで、短い作文を書いてもらいました。その中に忘れられない作品があります。
それは、幼かった日の、おじいさんとの思い出を書いたものでした。彼のおじいさんは幼い彼を、本当に可愛がり、毎日のように彼を連れ出しては、遊ばせてくれました。
ゲームセンターに連れて行ってくれた日、おじいさんは必ず孫に、「ママに言っちゃだめだよ」と、言ったそうです。お母さんは、自分の子をおじいさんがゲームセンターに連れていくことを、教育上よくないことと考えていたようです。
沖縄というふるさと
家族と沖縄に行き、沖縄の友人たちとともに食事をしたのは、ちょうど2年前の今ごろです。沖縄の素晴らしさは、景色や食べ物もさることながら、何といっても「人」なので、どうしても、素敵な人たちと語らいたいと思ったのです。沖縄では、お盆をはじめとする先祖供養の行事を大切にするのですが、私たちが訪ねていった日は「内地(本土)」にとってのお盆時期で、沖縄では旧暦にしたがうから、時期がずれてるし大丈夫よ と明るく迎えてくれたのでした。
「塔の上のラプンツェル」に見る『愛』について
部屋の中で17年間もステイホームした女の子が、18歳の誕生日の前の日に、生まれて初めて「外に出る」物語、「塔の上のラプンツェル」は、ディズニー社が莫大な費用をかけて、世界中の18歳の若者に、18歳のこころを知っている大人に、そしていつか18歳を迎える子ども達に贈った作品だと思います。