ユキナさんとの出会い

初めてユキナさんに会ったのは、2017年の夏のことでした。私は、東京にあるビルの会議室で、ある学習会に参加していました。その日の会議室のフロアには、知り合いがいなかったので、私はそんなときにいつも座る一番前の、一番はしっこの席で、ひとりで会の始まりを待っていました。

開始ぎりぎりにユキナさんは入ってきました。長い髪と長いスカートを翻し、満席の会場をみまわして、たったひとつ残っていた、私の隣の空席を見つけて彼女は座りました。知らない女性が自分の隣に座った。私にはただそれだけのことでした。

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こころの霧が晴れるとき

世の中のほとんどの男性が敵であるような気になりかけていた私の思いが偏見だと気づいた理由は、「男性のジェンダー」を研究する多賀太さんの存在でした。彼は「男性のジェンダーが男性の問題を招き、女性への暴力や抑圧につながる」と考え、「男性の非暴力宣言」という本を出し、日本で初めて男性が主体となって女性に対する暴力を問題にする運動「ホワイトリボン・キャンペーン」を共同代表として立ち上げた人だったのでした。この社会で、そんな一歩を踏み出す男性がいることに、私は驚きました。そして自分が今まで見えていなかったもう一つの真実に気づかされたのです。

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ジェンダー発見

1996年の夏、喘息に苦しんだ妊娠期間を乗り越えて、私は無事に2人目の子どもを出産することができました。

分娩室で「女の子ですよ」と言われ、「ありがとう」と喜ぶ私に、助産師さんはこう言いました。「じゃ、上のお子さんは男の子なのね」この言葉に、特に意地悪な気持ちはなかったのでしょうけれど、私はこころのどこかに鈍い痛みを覚えました。なにげないひとことで、私の産みだした大切な命が、息を始めた一秒後に、また、一本の線を引かれ、仕分けられてしまったのでした。

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「こころの休憩所」。

2013年の春、私は7年間の年限のため、障がいを持つ子どもたちと、同僚の仲間のもとを離れ、新しい職場に転勤しました。さびしいと感じていました。ずっと体調がすぐれず、ひどい腰痛を抱えていました。新しい職場に慣れず、すぐには新しい仲間もできませんでした。周りの人を信じることも、ありのままの自分を出すこともなく日々をすごしていました。いま思えば、あのころは、実家と断絶した自分を恥じ、みじめさと罪悪感を持っていて、本当の自分を隠すことに精一杯で、世界に対して、こころを開いていなかったのかもしれません。常に緊張して神経をとがらせ、夜も眠れないような日々が続きました。ひどい腰痛も体調不良も、ストレスからくる不調だったのだと今は思います。

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「親の愛」にも「偽物のそれ」があるということ

2012年、そのころの私は、「障がいをもつこどもたち」を対象に仕事をしていました。「障がい児・者」に冷たい、今のこの社会に対して、ずっと感じていた違和感の正体を見つけたくて、2006年から7年間、私はその仕事をしました。

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親切(おやぎり)の春

2012年の春、46歳の私が願ったたったひとつの願いは「もう誰にも支配されたくない」ということでした。いい年をして、なにを子どものようなことを言っているのだ?と思われるかもしれませんが、永年「愚かな末娘」の役割を与えられた私は、その年になるまで両親から、「ああしろ こうしろ」と言われることに逆らわずに生きてきたのです。

その一方で、実家から離れて両親の手を借りずに子育てをした私は、逆に自分の子どもに対し「あなたの人生はあなたのもの、大切な決定は自分自身で選びとってほしい」と、一生懸命伝えてきたのです。 “親切(おやぎり)の春” の続きを読む

犬と暮らせば  その6

2005年、9月下旬のことでした。あの頃はまだ、この辺りは住宅地ではなく、窓を開けると、田んぼを渡ってきた風が、心地よく家の中を通って吹き抜けていきました。長い夏が終わり、一番心地よい季節を迎えていました。

私は真夜中に異様な夢を見ていました。悪魔的な奇妙な小動物が、なんとも言えない声を出し、うごめいている夢でした。うなされるように目を醒ましても、どこからか、とぎれとぎれに、奇妙な声は止むことなく続いているのが聞えてくるのでした。

「なんだろう」と思って、声のする方へ寝ぼけたまま近づいていきました。奇妙な声は、ベルのいる犬舎の方からきこえてくるようでした。その声は、異様に大きく、よく響く声でした。暗闇のなかで目をこらすと、声もなくベルが体をこわばらせて、おびえているのがわかりました。

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犬と暮らせば  その1

「いちど犬を飼ってみればいいよ」その頃働いていた職場の、先輩の女性が、優しい口調で私にそう言いました。「そしたらもう 犬を『怖い』と思わなくなるから」と。

そのとき、私はその人とお弁当を食べながら「子どもたちが犬を欲しがるけれど、私 犬が怖いんです」と語っていたのです。

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「イベント家族」からの逃走(!)

「連休、どこか行きますか?」「休みはどうしますか?」そんな会話を聞きながら 子どもが小さかった頃は、頑張ってあちこちに遠出していたなあと思います。

でも家族4人とも社会人になったばかりの今年の気分は、「休みは休もう」と思います。「ただ休みます」それが理想の連休の過ごし方です。

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阿修羅展の思い出(刹那と永遠 2)

その思いにとらわれたのは、2009年の9月のことです。

「国宝 阿修羅展」に行きたくて、九州国立博物館に行った時でした。阿修羅を見たいとずっと思いつめていた私は、5時間待ちだの6時間まちだのという行列の噂に尻込みした家族を置いて、たった一人で、あのものすごい長蛇の列に挑戦したのです。

暑い夏の名残が、まだ残っていました。熱中症予防のミストが頭の上に降りかかっていたのを覚えています。深々と帽子をかぶり、ペットボトルの水を飲みながら、4時間並び続けました。

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フェルメール展で感じたこと(刹那と永遠)

上野の森美術館でのフェルメール展が、今度の日曜日に最終日を迎えるそうです。2月から大阪で公開されるということです。

12月に東京でのフェルメール展に行きました。絵が大好きなおばあちゃん(義母)に喜んでもらおうよ、という、みんなの一致した意欲で、関東に住む息子も、関西に住む娘も九州に住む私たち夫婦も東京に集まり、美術館巡りをしました。久しぶりに家族が集まり、ひとときを過ごす、いい口実になりました。

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