地元のスーパーマーケットに入ると、色鮮やかな麩菓子をつめた巨大なビニール袋が目に飛び込んできます。なんの前触れもなく「お接待菓子(おせったいがし)」のコーナーが、ある日突如として出現するのです。春です。季節感のかたまりのような「おせったい」のシーズンが今年も近づいているのです。
人間 至るところ青山あり
3月31日の空港には、スーツ姿の若者があふれていました。明日の入社式に向けて旅立つ我が子を送る親たちの顔には、自分の「子育て」時代からの卒業式のような、そんな晴れ晴れとした表情が見えます。
サヨナラだけが
桜の季節です。
「ハナニ 嵐ノ タトヘモアルゾ、「サヨナラ」ダケガ 人生ダ」(井伏鱒二・干武陵『勧酒』)の詩にあるとおり、桜の季節は、同時に別れの季節でもありますね。
大切な同僚が、年度替わりで去ってしまったり、自分自身が転勤で環境がかわったり・・・そんな不安定な季節です。
バレーボールに夢中になって
小学校高学年になると、「男子」「女子」と呼ばれることが多くなりました。そのころ流行り始めた「スポーツ少年団」では、「男子は野球、女子はバレーボール」と なぜか決まっていました。私は、野球で遊ぶことも好きでしたが、バレーボールクラブに入部し、女の子の仲間と長い時間を過ごすようになりました。
子どもは2人で豊かな暮らし(?)
「我が家は、子どもがひとり、多すぎるんだなぁ・・・」
ある日、父が妙なことを言い出しました。1974年のことでした。彼によると、「国が定めた『標準世帯』は、子どもがふたりなのに、我が家は三人もいるから、いろいろお金もかかるし大変なのだ」というのです。それもわざわざ、三番目の子どもの私に向かって、大真面目に言うのでした。
式典の中心で、親への感謝を叫ぶ(?)
今朝も、新聞のあの記事が、私をぎゅっとつかんで、はなしません。
新聞で、テレビのニュースで、そして SNSで、ネットニュースで、日本のみんなが、世界のみんなが、虐待の動画の拡散と母親の逮捕の事件を知り、心を痛めています。
幼い弟が母親に蹴られている様子を動画に撮って拡散し、助けを求めた兄は、中学1年生だったといいます。母を信じようとして、愛されようとして今日まで生きて来た少年は、「マッチに火をつけた」んだなあと思います。生きるために、親に見切りをつけたこの子は、保護されたあとも、今この瞬間も苦しんでいるのかもしれないと思います。その気持ちを思い、心を深く沈めている人は多いと思います。いますぐ彼に声をかけたい思いが します。 “式典の中心で、親への感謝を叫ぶ(?)” の続きを読む
地獄の教室
『新学期になったのに、まるちゃんは今年も3年生 なぜって3年生がカワイイから、作者が勝手に進級させなかったのです。(サザエさんをお手本にしました)』そういってまる子ちゃんは、永遠の小学校3年生を決め込んでしまいました。
私も、サトウ先生のもとで「ぼやーっ」としている小学校3年生のまま、永遠にまわっていられればよかったのに、あのころ何度そう思ったかしれません。新学期から始まった小4のクラスは、「地獄の教室」だったからです。
生まれた町を離れて
小学校2年生になる春のことです。私は、父の転勤により生まれて7歳まで暮らした、その切り株山の町を離れることになりました。
引っ越しのトラックと共に、生まれた町を離れながら、それが何を意味するのか、私にはわかっていませんでした。この町に二度と帰ってこれなくなると言うことに気づくには、経験が浅すぎたのです。
世界は前に(卒業の春に)
白髪の先生
小学校3年生のときの担任の先生は、サトウ先生と言って、白髪頭のおじいさん先生でした。とは言っても、たぶん今の私より、ずっと若かったのでしょうが、あのころの私には、とてつもなく年齢のいった人に思われました。
1972年の記憶~サッポロ・オキナワ~
1972年は、町立幼稚園までの道を歩いて通っていて、それが私の世界のすべてでした。
山の向こうに何があるのか、そこにある世界がガイコクなのかな、と思ったりしました。
素直な心の子にする童話集(?)
本が自分で読めるようになったころのある日、両親が私のために、本のプレゼントをしてくれました。いつも姉たちのおさがりの本を読んでいた私にとって、初めてのことで、もらった日はとても嬉しかったのを覚えています。
ステファン・カリーの秘密
先日、久しぶりに帰った娘とふたり、炬燵でのんびりしながら、彼女の好きな動画をスマホで見せてもらっていたときのことです。
彼女の好きなタレントや、あこがれのアスリートをみせてもらうのは、久しぶりでした。相変わらず「嵐の大野君」を支持しつつも、離れて過ごす間に、また新しい人が娘の”憧れリスト”に加わり、「へえ~」と「ほ~」の連続でした。
「ボヘミアン・ラプソディ」に一票!!
今年のアカデミー賞は、「ボヘミアン・ラプソディ」に決定です。私の中では!(まだノミネート段階だけれど)
全世界の多くの世代を巻き込んだ、この映画の一大ブームを牽引しているのは、私たち50代の「なつかし力」なのだと思うけれど、そんな私たちに「お母さんたちの大好きなQueenが映画になったみたい、見てみて。」と教えてくれたのは、息子や娘からの情報でした。
阿修羅展の思い出(刹那と永遠 2)
その思いにとらわれたのは、2009年の9月のことです。
「国宝 阿修羅展」に行きたくて、九州国立博物館に行った時でした。阿修羅を見たいとずっと思いつめていた私は、5時間待ちだの6時間まちだのという行列の噂に尻込みした家族を置いて、たった一人で、あのものすごい長蛇の列に挑戦したのです。
暑い夏の名残が、まだ残っていました。熱中症予防のミストが頭の上に降りかかっていたのを覚えています。深々と帽子をかぶり、ペットボトルの水を飲みながら、4時間並び続けました。