欲しかったのは 余白

私は、あまりテレビが好きではありません。小さい頃、家にテレビがなかったせいかもしれません。1人で過ごす時間はテレビをつけず、好きな音楽を聴いて過ごします。

実家で育ったころや、大人になってからも、テレビのチャンネル権を与えられたことがほとんどない、ということも影響しているのでしょう。私にとってテレビとは、誰かが勝手に番組を作り、誰かの意志で流され、チャンネルは私以外の人によって切り変えられるもの、今は見たくないな、嫌だなと思っても、自分の思い通りに消すこともできす、ただ我慢するものでした。興味のない話題や見ても理解できない「囲碁や将棋の番組」にいたっては、もはや試練の時間でした。それでも「見たくないから消して」と言うことのできない、悔しいけれど家の中で、私よりもずっと地位の高い存在、私にとってはそれがテレビでした。

夫は、「生まれたときから家にテレビがあり、起きている間はいつもテレビをつけている」生粋のテレビ小僧です。リモコンを片手に、テレビに向き合い、気に入らないニュースや、CMや、嫌いな出演者に向かって文句を言いながらザッピングする夫は、テレビを見ることによってストレスを発散するどころか、ますますストレスを溜めこんでいるようです。

しかも、このところのテレビ番組は、朝から晩までコロナウイルスの話題が繰り返され、「閑散とした町」を映し出しては「経済危機」という危機感を煽り、「人が戻った町」を映し出すと、今度は「感染の危機」という危機感を煽り、つまりは、どっちに転んでもまずいことになるという「ダブルバインド」を強いてくるのです。こうして不安や危機感をあおられた私たちは、落ち着いて判断することを奪われ、何かにコントロールされていくような気さえします。

それでも夫がいるときはテレビをつけっぱなしで過ごすという習慣を捨てきれないことに、正直なところ、疲れを感じていたのでした。

「もうテレビ 見たくない」心の底では、そう叫んでいました。さわやかに目覚めた朝、しずかに暮れていく夕方、おだやかに過ごしたい夜、どうして、なぜ、聴きたくもない話題を何度も何度も聞かされなければならないのかと思うことが、正直何度かありました。

そんな ある朝、起きると、わが家のテレビが壊れていました。

液晶画面がまったく反応しなくなっていて、これはもう経年劣化による『テレビの大往生』でしょう。買ってから20年間、ずっと酷使されつづけてきたのです。テレビよ 本当にお疲れさま、安らかに眠ってください と心につぶやきます。そして、なぜか同時にアンテナもだめになり、修理を頼むと、なんと2週間後でなければ来られない、というのです。

私の望んだテレビのない毎日は、こうして偶然にも与えられたのでした。

しずかな明るい朝、誰からも危機感を煽られることなく、一日が始まります。

夕方、夫と向き合って夕食を囲むと、自然に会話がはずみ、じっくりと語り合うことが増えました。

「とっくに捨てたよ、本当に いらないよ テレビは」と、独り暮らしの息子は言います。見たい映画もドラマもニュースも、情報のすべてを、自分から取りにいくネット世代の彼らには、無抵抗に一方的にテレビから情報を受け取る時代は終わったのかもしれません。

テレビのない暮らしのまま、一週間が過ぎようとしています。一方的に受け取らされる情報に、頭の中を乗っ取られていた感覚が、しだいに遠ざかっていきました。脳に余白ができたようにすっきりし、考えがまとまりやすくなりました。前からやりたいと思っていたことが、つぎつぎと実現できていく一週間でした。

夫の奏でるギターの音が、作業用BGMのように聞こえます。今の暮らしがずっと続けばどんなにいいでしょう。本当に欲しかったのは、こんなシンプルな余白の時間だったのです。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です