新しい日々を生きる~慣習を手放す~

元旦です。一番新しい日です。ほんとうは人生のすべての日がそうなのだけれど、今日のような日付の日は、特別な実感が湧いてきて、わかりやすくて好きです。

2020年が明けました。2000年代を迎えることに大騒ぎをしたあの日から、「もう20年経ったのか」というのが正直な実感です。21世紀になって、20年も経ったのだから、前世紀の、重苦しい慣習なら、そろそろ手放したいと思う今日この頃です。

年末年始の「帰省スルー」を選んだ私は、実は数年前から 大みそかに夫の実家に泊まりに行くことをやめ、ふつうに自分の家で年を越すことにしました。近所に住む義母と一緒に「紅白歌合戦」を見ながら、親戚が集まる「正月のしきたり」を、「今年はやめよう」と話しました。親戚筋にひとりインフルエンザに罹っている人がいる、というのが表向きの理由ですが、本当は、普段でも会える親戚と、盆正月だからと言って改まって無理やり会食するのは、そろそろもうやめたい と感じていたからです。

ちいさい子どもがいて、お年玉をあげたいとか、赤ちゃんの顔を見せたいとか、それぞれの家にブームのような時期があるかもしれませんが、その時期が去ったときに、子どもは思春期を迎え、受験生になり、誰もがあんまり望まない時期が訪れます。それでも「やめよう」という一言が言いだしにくくて、ついつい「前年通り」のことをしてしまうのが「しきたり」であり、「慣習」です。この「慣習」というのがくせもので、「いつから始まったのかわからない」というものほど、やめることが難しくなるのです。盆正月の「帰省」とか「親戚づきあい」を、なかなかやめることができないせいで、かわいそうなことに思春期や受験期の若者が、無神経な親戚の「酒の席の肴」にされてしまい、かれらの誇りを汚してしまう、という悲劇が頻発するのかもしれません。私の部屋に相談にくる若者たちの中に「盆正月の親戚の集まりが苦痛なんです」と訴える人が少なくありません。幼いころから、いとこ同士を並べて、見た目やコミュニケーション能力を比べられたり、「どこの学校を受験するのか」とか「どこの会社に就職したのか、まだ結婚しないのか」とか「子どもはまだか」などなど、いまどきの社会では「ハラスメント」としてタブーとなっている個人情報の領域に、土足でずかずか踏み込んでくるのは、いまや盆正月の親戚のおじさんおばさんだけです。若者の人格を半人前扱いする、この「親戚の集まり」の雰囲気は、なぜいつまでも許されるのでしょう?たまに顔を合わせてお互いの近況を報告し合い、話題に尽きたら、酒席の話題として、最も下位に置かれ、立場の弱い若い人への不躾な質問が始まるのだとすれば、やはりそれはハラスメントだと思うのですが、なかなかこの「盆暮れハラスメント」については話題にならないようです。

大みそかの夜に「紅白歌合戦」を見る、という「しきたり」も、私自身に染みついています。テレビの中では紅組が勝っただの白組が勝っただのと口では言いながら、ともかくも無事に歌い終わってほっとしている歌手たちの笑顔を見ながら「蛍の光」の歌を聴き終わると、画面が一転して、どこかのお寺の「ご~ん」という除夜の鐘の音の響く「ゆく年くる年」に切り替わる、あの瞬間まで見届けてから布団に入るのが、永年の自分の「しきたり」になっています。

さて、そんな「紅白歌合戦」ですが、今回 もっとも心に残ったのは、LGBTのシンボルである「六色レインボー」の旗をかかげて、「性別を超えよう」と提案するメッセージを示した、ミーシャさんのパフォーマンスでした。「性別を超えよう」というコンセプトでは、氷川きよしさんもそういうメッセージが込められていたらしく、両者の姿からは特に、なにか強い意志のようなものが伝わってきて、もっとも輝いて見えました。

「性別を超えよう!紅だの白だのと分かれて歌っている時代は、もうとっくに終わったんだよ。」というメッセージが満ち満ちたNHKホールでは、もはや「紅組が勝ったか、白組が勝ったか」とカウントしたり、表彰したりすることの方が気恥ずかしいような、妙な違和感が漂っていて、出場者の多くの顔に「どうでもいいですよね。勝敗。」と書いてありました。「もうこれ、さすがに限界だなあ」と感じたのは、私だけではないと思います。

同時に、今まで50年以上も「紅白で男女」に分けられることへの違和感や、その不自然さを不自然とも感じないで受け入れて来た自分自身の感覚の鈍さにも驚き、急に恥ずかしくなるような、不思議な感覚が私を襲いました。

「王様は裸だ!」と、大きな声で言われたときのような、気恥ずかしさ、それが今年の「紅白歌合戦」のもたらした真実であり、長い間、誰もが見ようとしなかったこの「男女別」の欺瞞だったのだろうと思います。

毎年、紅白歌合戦が始まったとたんに、「この番組、なんとなく無理、なんか嫌だ。」とつぶやく息子は、どこか居心地の悪そうな顔をしているのですが、あの番組に違和感を訴える、彼の方が、実はまともなセンスをしていたのかもしれません。息子は、幼いころからずっと「男女の性別で分けない名簿」の学校で育ち、人種や国籍を超えた仲間関係を多くの人と結び、性的マイノリティの友人を当たり前の存在として認めながら学生生活を送ってきた世代だったのでした。そんな息子にとって、この「男女別」の世界は、「どことなく不自然」にうつったのかもしれません。

「今でも『男女別名簿』の学校が、日本中にあるんだよ。男子の後ろに女子が並ぶやつ」と彼に教えたとき、「うわっ、なにそれ?・・なんで?」と彼は驚いたものでした。

なんでと聞かれて、どう説明すればいいのでしょう?「そういうものだ」としか言えないような慣習は、もはや手放してもいい慣習なのではないでしょうか、男子はここまで、女子はここから、なんて言っている時代は、もうとっくに終わったのです。なにしろ、もう2020年なのですから。

 

 

 

 

 

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