犬と暮らせば  その6

2005年、9月下旬のことでした。あの頃はまだ、この辺りは住宅地ではなく、窓を開けると、田んぼを渡ってきた風が、心地よく家の中を通って吹き抜けていきました。長い夏が終わり、一番心地よい季節を迎えていました。

私は真夜中に異様な夢を見ていました。悪魔的な奇妙な小動物が、なんとも言えない声を出し、うごめいている夢でした。うなされるように目を醒ましても、どこからか、とぎれとぎれに、奇妙な声は止むことなく続いているのが聞えてくるのでした。

「なんだろう」と思って、声のする方へ寝ぼけたまま近づいていきました。奇妙な声は、ベルのいる犬舎の方からきこえてくるようでした。その声は、異様に大きく、よく響く声でした。暗闇のなかで目をこらすと、声もなくベルが体をこわばらせて、おびえているのがわかりました。

「なにか、恐ろしい動物がやってきて、ベルの身に危険が迫っている!イタチかか ヘビか 」と私は警戒しました。

でも、ベルが恐れているものは、ベルの体から1メートルほど離れたコンクリートの上で、ぬるぬるとして動き回り、激しく助けを求める、小さな物体でした。

事態を理解するのに、時間がかかりました。毛足の長いベルの体に、そんな異変が起こっていたなんて、全く気づきませんでしたし、当のベル本人が、あきらかに動揺し、自分の体から出てきたそれを、わけのわからないまま受け入れられず、怖がっていたからです。

「どうしよう、ベルが子どもを産んだみたい」私は夫を起こしに行きました。

夜中の3時でした。とにかくその小動物を洗って、段ボール箱に入れ始めました。

「どうなるのこれ? どうすればいい?」小さな物体は、何時間かおきに、一匹、また一匹と次々と生まれてきます。ベルは、母親になる自覚が全くなかったため、片隅に産み捨てて、自分だけ逃げ戻ってきたりもするのです。私はそれを拾ってきて、胎盤をぬるま湯で洗い、へその緒をキッチンバサミで切ってやったりもしなければなりませんでした。

朝になり娘が起きてきました。寝ぼけた娘は、家の中にある段ボール箱の中でうごめく命を見て、「なんで猫がおるん?」とつぶやきました。

夫は、「そういえばベル、ゆうべだけは、散歩に行くのを嫌がったなぁ、きつかったんだろうなぁ」と、自分の不明を反省していました。

息子は小学校6年生でした。朝になれば、息子が所属するチームの試合が県外であるため、一家ででかけることになっていました。私は夫と子どもたちを送り出し、一人でベルのお産に立ち会うことにしました。

玄関に親子を入れて、私は疲れて眠ってしまいました。目が醒めると夕方の4時になっていました。ベルのお産が始まってから、もう12時間以上が経過していました。ふと親子の様子をのぞいてみて、私はびっくりしました。

ゆったりと寝そべったベルの体に、小さな子犬たちが、当たり前みたいに必死ですがりつき、一生懸命お乳を吸っていたのです。しかも、子犬は私の知らない間に、一匹増えていたのです。

ベルは、いつのまにか、すっかり母親らしくなっていました。最初の子どもが自分の体から出てきたときの「こわい、助けて!」というような彼女の様子から、半日しかたっていないのに、彼女は、最後に産んだ子犬のへその緒を自分で噛み切り、胎盤を自分で食べ、きれいに体をなめてやり、自分の母乳を与えていたのでした。

夜になり、再び家族が集まると、家の中は、すっかりにぎやかになっていました。ベルは、あっというまに5匹の子どもの母親になったのです。子犬はすべてベルにそっくりの、白と黒のツートンカラーをしていました。どこからどう見ても、母親の要素しか感じられません。そして子犬たちの愛くるしさといったら、いつまで見ても飽きないほどでした。

「いったい父親は誰だろう?」夫も私も、息子も、一所懸命首をひねっていました。

そのとき小3の娘の放った一言が忘れられません。

「そんなんどうでもいいやんか! こんなかわいい子どもが生まれたんやけ!」

そうなのでした。それほど子犬たちはかわいらしくて、元気いっぱいだったのです。生まれた命の輝きの前では、通り過ぎていった父親など遠い存在でした。小3の娘の宣言は、妙に本質を言い当てていて、みんなを納得させる力のあるものでした。私は感心して、大賛成しました。

育てよう、こんなにかわいい子どもたちだから、きっと、もらってくれる人はいっぱいいる。なんも心配しないで、とにかく大事に育てよう 私たちはそう決めました。

あっというまに主役になった、ベルと子どもたちの周りで、我が家の、あわただしくも楽しい子育ての日々が、こうして始まったのです

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