自分レスキュー その3(再生=Reborn)

次のカウンセリングの日、私は再び木造校舎の畳の部屋にいました。

今回は、「再生」の再決断療法の日でした。

私は、「生まれたばかりの私」のそばにいました。実際には赤ちゃんはいないのですが、畳の上に、赤ちゃんを寝かせている「つもり」で、そこを見つめていたのです。いわば「エアー赤ちゃん」でした。でも不思議なことに私には、その赤ちゃんは自分自身であるという感覚がありました。

はるさんは、助産師さんのように、寝ている赤ちゃんの私を、「かわいい、かわいい」と優しくなでてくれました。

そばに、私の母の存在を象徴する椅子がおいてありました。

「お母さんは、どんな顔してる?」はるさんは、私に聴きました。

私は答えました。「がっかり・・・してる。」

私は、すでに声が出ないほどの悲しみで涙がとまりませんでした。自分が生まれたことで、母親ががっかりしているという、その事実。50年間、心の底に押し込めて、でも消えてくれず溜まりつづけたその悲しみと罪悪感で、呼吸が乱れ、いますぐ消えてしまいたいような気分になっていました。

「どうして?」とはるさんは聞きました。

「男の子が欲しかったって、男の子が欲しかったのに、私が生れてきて、『がっかりだ』って・・」失望された自分が、悲しくて、みじめで、居所のないような気持ちを抱えながら、私は、やっとその言葉を絞り出していました。

そのとき、はるさんが、きっぱりと宣言しました。「そんなお母さんはまちがってる!そんなお母さんはいりません。こんなにかわいい、大切な大切な赤ちゃん。私たちが大切にするよ、ほら、こうして可愛がって大切にしよう」

そう言いながら、はるさんは、寝かせていた「エアー赤ちゃん」を大切にとりあげ、慈しむようになでながら私に抱かせてくれました。

 

不思議なことに、「エアー赤ちゃん」をはるさんが撫でると、自分の肩がそうされているように、からだが温まってくるのです。生まれてから、ずっと私の肩は、こんな風に優しくしてほしかったのだと、だから、ずっと今まで、こんなに肩が寒かったのだと、そのとき、初めて気づいたのでした。

やがてはるさんは、そのエアー赤ちゃんを私の体の胸のあたりに入れるように促しました。私は、この世で一番、可愛くて尊い赤ちゃんの存在を、自分の体に同化させたのです。

その時、私の体で、いま生まれたばかりの大切な私の命が、あたたかく息づいて、ぽかぽかと胸のあたりが温まってくるのを感じました。

はるさんはこう言いました。「今夜から、大切な赤ちゃんを育てるように、自分を大切に育ててくださいね。自分を手荒に扱わず、丁寧に、慈しんでくださいね。」

こうして、その日の「再生」の心理療法は終わりました。

あのとき、私自身は、はるさんという助産師さんによってとりあげられ、もう一度生まれたような気もします。あれから、一日一日育ち続けた私は、もうすぐ5歳になるのです。

心理療法という響きに対して、ずっと私は半信半疑でした。

それなのに苦しすぎて藁にもすがる思いで踏み出した一歩でした。

それでも私は、あきらかに生まれ変わりました。

まず、夜、ぐっすり眠れるようになりました。不安な悪夢を見ることもなくなりました。

当然、身体のあちこちに感じていた不調が遠ざかり、通いつめていたさまざまな病院通いが、やがてすっかり無くなってしまいました。

なによりも、心を常に占めていた「インナーマザー」のような存在が、しだいに遠ざかっていくのがわかりました。逆に言えば、それまでの私は、一挙手一投足を、心の中で「インナーマザー」にお伺いをたて、否定され、縮こまっていたのですが、それがいつのまにか無くなっていったのでした。

こころの中にあった「死んでしまう」という想念が、いつのまにか消えていました。ときどき、3歳や4歳の子どものような気持になることもありましたが、だんだんと、心から不安や恐怖や罪悪感が消え、イライラと発作のような怒りを感じることもなくなりました。 また、自分自身のことを「大切な存在」と思うことができるため、「本当はこれがしたい」と思うこと、たとえば、身体を休めたり、楽しんだり、おしゃれをしたり、おいしいものを味わったり、健康な眠りについたりすること・・に対して、以前と違って罪悪感をもつことがなくなりました。したいことをするのに、心の中で言い訳を探し続ける必要がなくなり、単純にこころから、したいこと、欲しいものに手を伸ばすことができるようになりました。なぜならば、私は「大切な、価値ある人間」だからです。世界中の人がどう思おうと、産みの親がどう評価しようとも、もう揺れなくなりました。私は、この世に生まれてきた、尊い命なのだと、心から思えるようになったからです。

自分のなかでこねまわしていた、あらゆるいいわけや理屈が姿を消し、こころがすっきりとシンプルになりました。

目の前で、誰かが不機嫌な顔をしたり、怒りで周囲を支配しようとしたとき、以前の私なら、まず、怯え、いらだち、その不機嫌を受け取って自分も不機嫌になっていました。しかし再決断し、再生してからの私はそうではなくなりました。

最近の私は、同じように不機嫌をまき散らす人に会っても、怒りもおびえも感じなくなりました。目の前で不機嫌になる人に対して、「この人はなにか人生でうまくいっていないんだな。でもそれは、この人の問題だから、私のせいじゃないから、私まで不機嫌になる必要はないよね」と、目の前の、その人の気分にひっぱられなくなったのです。

幼いころから、「不機嫌という卑怯な方法」で私を支配していた人たちの「顔色を伺う」という、卑屈な心の癖が、私にはありました。顔色を伺って気をつかう一方で、その相手への怒りや反感もまた、感じていました。これは、自尊心の低い人間の典型的な特徴だと言います。

あの日、「私の人生は私のもの」という再決断とともに、自分と、未熟な人たちとのあいだに、一本の線をひいたことで、私はやっと「精神的自立」らしきものを手に入れたのだと思います。

再生した私のまわりでは、次々に、いままでと違ったことが起こりはじめました。人からの推薦を受けて、ある団体の代表をすることになりました。以前の私なら、役員に推薦されることそのものに、「おしつけられた、という被害意識」を感じていたでしょう。けれど再生したあとの私は「私にできることをしよう」と思います。たくさんの人の前でお話しすることも増えましたが、以前のようにそれを、負担に感じたり、緊張することもなくなりました。

おかげで素敵な友人がつぎつぎとできました。新しい友人は、以前の私を知りませんから、私のことを、「怯えることも不安がることも少なく、健全で鷹揚な人間である」と思ってくれているようです。

それは、ある意味、真実です。人は、かりに50歳まで、這うように卑屈に生きたとしても、50歳で生まれ変わるなら、そこからの人生に、過去は関係ないのです。一秒でも一時間でも、それは真実の私の人生なのです。

 

 

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