家の中のキャンプ生活

寒い朝、聴きなれない音で目が覚めました。何だろうと窓の外を見ると、一面の雪景色の中、子ども達が集まって雪を集めています。九州地方の冬に銀世界は珍しくて、普段なら子ども達は雪だるまを作ったり雪合戦を楽しんだりとめったにできない雪遊びに興じるはずなのに、なぜか今日の彼らは、まじめに雪を集めています。その風景に違和感を覚えました。

寝ぼけた意識のまま、顔を洗おうと水道の蛇口をひねってみると、お湯が出ません。ちょろちょろと音を立てる水が、細く細くしたたりおちるだけでした。

このごろ私の住む町では、数年に一度の寒波に襲われると、あちこちで水道管が破裂し、給水制限に入ります。今朝はそんな朝でした。寝ぼけた私は事態を悟るのに、少し時間がかかりました。やがてはっきりと目が覚めました。これはまずいと気が付いたのです。

こうなってしまうとお湯にはしばらくありつけません。やがて悪くすると水道の水が出なくなり、トイレの水を流すにも支障が出はじめるのです。

さっきの子ども達の姿を思いだしました。子ども達は、雪を集めてバケツに入れ、水を確保していたのでした。家族の多い家にとって給水制限は深刻な事態です。だから子ども達は遊ぶことも忘れ、一生懸命、バケツに雪をストックしていたのです。

2人暮らしの我が家でも、小さなサバイバル生活が始まりました。細く給水される水をためたりストーブで沸かし混ぜたりすることで、なんとか顔を洗える温度のお湯ができました。台所の洗い物をなるべく出さないように、紙皿を使って料理を盛り付けます。まるで家の中でキャンプをしているようです。

生活基盤が損なわれると、それを補うためには日ごろ使わない知恵を絞らなければなりません。失って初めて、日ごろ当たり前に受け取っていた便利な生活が、いかにありがたいものだったかがわかります。

今回の寒波で、もっともっと深い豪雪を受け、建物が押しつぶされたり、雪で電線が切れて停電した というニュースを目にします。雪の高速道路での立ち往生や、オール電化の家で 暖がとれずに困っているという悲鳴のような書き込みもありました。被災して、仮設住宅で暮らしている人も、まだまだたくさんいるのです。それがどんなに寒くて不自由で辛いことか、こうして自分が不自由な目にあうことで、より鮮明に想像できます。

そうして思うのです。今日一日生活することとは、本来こんなに大きな仕事なのだと、水も汲まなければならないし、暖を取る火も絶やさないようにしなければならない、頭の中はそのことで一杯で、昨日の後悔も、明日の心配も入る隙間はないのです。

夜にテレビをつけてみました。豪雪の大自然に飛び込み、ソロキャンプをする人が増えていることを報じています。「生きている実感を得るために」と彼らは言います。生きる知恵をしぼらなければ生きることの難しい場所へわざわざ行き、自分に問いかけ「やはり生きたい、生きていこう」という答えを自分から得ることを、現代人は求めているのだと思います。

でも、多くの人がそう感じているように、サバイバルはもう始まっているのです。

今までの暮らしがこれからも続くとは限らない、ということについて、2020年はいやという程教えてくれました。いつのまにか決議された水道法の議論を見ると、昭和30年代に整えられた上下水道が、かなり経年劣化していることから、私たちの町でちょっとした凍結で水道管が破裂するように、水の安定供給を維持するのが難しくなっているのです。「安全な水ほど高いものはない」という時代が、近い将来くるのかもしれません。

家の中のキャンプ生活は、まだまだ続きそうです。いつになったらお風呂に入れるのかわかりませんが、それも良い、受けて立とうと思います。不便な暮らしをした人にしかわからない気持ちを、経験と思って味わおうと思うのです。

とりあえず、今日を生きることに専念しようと思います。

 

 

 

 

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