「親の愛」にも「偽物のそれ」があるということ

2012年、そのころの私は、「障がいをもつこどもたち」を対象に仕事をしていました。「障がい児・者」に冷たい、今のこの社会に対して、ずっと感じていた違和感の正体を見つけたくて、2006年から7年間、私はその仕事をしました。

「五体満足が幸せだ」という言葉を、疑いもなく口にする両親のもとに育ちながら、自分自身も成果主義に駆り立てられながら、なぜか私は昔から「障がいを持つ人」に、心を寄せていました。当時、授産施設と呼ばれていた施設から、手作りのパンを売りに来る女の子たちから買い物をしながら話をしているとき、私のこころは、なぜこうもほっとするのだろう。この懐かしさと安心感の正体はなんだろう。世の中の人が彼らを差別的に呼ぶ言葉を耳にすると、限りなく悲しくなるのはなぜだろう。その答えを求めて、「障がい児者のケア」の資格をとり、働きはじめたのでした。

そこで7年間働く中で、いくつかの発見がありました。知的障がいや、自閉症、ダウン症などの個性を持つ、かれらのひとり一人には、それぞれの家族の歴史があること、かれらが生まれたことにより、結束する家族の絆もあれば、ばらばらになる家庭もあるということ、そしてかれらは、決してひとくくりには語れない、ひとり一人違った個性と性格と人生があるということ、そのあたりまえのことに気づかされたのです。

自閉症の男の子が、自らの強いこただりに苦しみながらも、ある日、ふっと腑に落ちたような表情を見せることがありました。吹いてきた気持ちの良い風に目を細めて、「いま」を心から深く味わっているその表情が、私のこころを捉えました。こうして、自分の感覚をとぎすまして、今日のこの快適な世界を、心から愛している、いまの彼は、私よりも、ずっと尊い一瞬を生きているのかもしれないと感じたのです。

彼の思いは、シンプルでした。誰かと比べて自分は優れているとか、あの人に負けたくないとか、そんなよけいなものはついていませんでした。比較も嫉妬も優越感も劣等感もない、ただ単純に「お気に入り」を守ることが、彼の人生のささやかな幸せでした。それはきわめて純粋な世界観でした。

担当者である私のことなど、ほとんど気にもせず、気も使っていないように見えました。ただ自分が、彼にとっての「当たり前の風景」として彼の世界の一部に収まっているひとときは、私にとっても心休まる日々でした。「ケアしている人、されている人」という序列のようなものは一切通用しない、自閉症の彼との不思議な関係性も、とても面白いと思いました。

また、「障がいを持つ子をもつ親御さん」との出会いも、私に大切なことを気づかせてくれました。

親御さんたちが「障がいをもつ子を育む姿」は、私をはっとさせるほどの「無償の愛」の姿でした。「この世にたったひとりのこの子」を一生懸命思い、世間に理解されなくても守り抜き、自分たちの亡き後の本人の幸せを願って福祉社会とつながろうとする姿に、私は、何度も何度も「親の本当の愛とはなにか」を考えさせられました。

「その子なりの成長」などという、うすっぺらい言葉は、筋ジストロフィーとともに生きる子の前に打ち砕かれることもありました。彼らの人生は、昨日よりも今日、今日より明日と、できることが増えていく「成長」とは、逆の運命をたどるのですから。

以前できていたことが、しだいにできなくなるその命を、それでも見守り、応援し、最後の時まで愛することをやめない、そんな親御さんの愛を見たときに、私は初めて、今まで自分が愛と信じてきたものとは質を異にする「本物の愛」というものを知ったのです。その愛に包まれて、自らの運命を恨むこともせず、ただ毎日を、一日一日慈しんで、最後まで目を輝かせて生きたあの子のまなざしを、私はいまも忘れることはできません。人は、短い生涯であっても、不満を持つことに一秒も割くことなく輝いて生きることができる。それが「素朴さのなせるわざ」なのだとすれば、「よけいなもののついていない素朴」は、素晴らしい奇跡であり、恩寵だと思うのです。

「お前は優秀だ、私たちの自慢だ」と言われること、そればかりをめざしてきた私でした。なぜかそれはいくつになっても満たされず、まだだめだ、まだだめだと言われているような気持に駆り立てられていましたが、実はそれが本物の親の愛ではなかったからなのでした。

「親の自慢」にならなければ、生きていることは許されないと信じて子ども時代を過ごし、「良い子になれば愛する」という「条件付きの愛」を示されてきた私には、言葉で理解したたつもりの「無償の愛」というものを、実はわかっていなかったのです。

「本物の愛」でわが子を包む親とは、自分の子を、よその子と比べたりしない、兄弟で比較したり競わせたりもしない、無理に成長することを強いたりもしない、ただ、その命があるだけでありがたいと思うものだということを、私は「障がいを持つ子の親御さん」の姿に学んだような気がします。

その愛は、溺愛とは違って、どこかで冷静な諦念も含んでいました。親は、永遠に生きることはできないこと、先にこの世を去ることを考え、自分たちがいなくなっても、その子が困らないように願って、福祉社会とつながりをもとうとする社会性も、親御さんたちは、多く身に着けていくのでした。

7年間で身についたものは「偽物の愛・本物の愛」についての考え方でした。「愛」のふりをした「支配・コントロール」に騙されない2012年の私の目を開かせてくれたのは、7年間で出会った「親御さんたち」の存在だったのです。

 

 

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