休もうよ

「こころの休憩所」のドアに、かぼそいノックの音がして、開けるとそこに彼女が立っていました。

はりつめた神経の糸が今にも切れそうなほどに見えました。こきざみに震える手と、うつむいたままのまなざし、血の気のない唇を見ながら、私は懐かしい友人を迎えるように招き入れます。8年の間に、ここを訪れ、やがて出て行った多くの若者たちが、最初の一歩をこうして踏み入れてくれた記憶を、デジャヴのように思い返しながら。

「いらっしゃい。」私はソファーをすすめ、飲み物を淹れることにします。何も言わず、何も問わず、ただ「疲れたね、休んでいこうか」と声をかけて。

最初にここを訪れる日、彼らの多くはぎりぎりに追い詰められているように見えます。世界のどこにも居場所がなくて、もう息をするのも苦しくて、できれば消えてなくなりたいという思いが伝わってくることもあります。

疲れているのです。

彼らなりに、どうにかしてうまく生きようとして、でもできなくて、家の中にも安心できる瞬間がなくて、夜も眠れなくて、体もこころも、もう疲れ切っているのです。

だから、私は、なにも訊ねません。

しゃべることさえ、きついほどに彼らは疲れてしまって、この部屋のドアを叩いたのですから。まして私は、初対面の大人、彼らには強大すぎる存在ですから。

何も言わなくていいよ。私には説明はいらない。私の望みはただ、あなたにその疲れを癒してほしい。一秒でもいい。あなたに「安心」を手渡したい。

祈るようにそう思いながら、ただ黙って時を過ごし、まるで人間の言葉を知らない犬の様に、彼女のそばに存在しながら、私は私の手仕事を続けることにします。ぽつぽつと語り始めるその言葉に、軽くあいづちをうちながら。

静かに時がすぎ、ふとみると、彼女の握りしめた手が、いつのまにかほどけていました。ソファーに沈んで、寝息をたてているのです。

ああやっぱり、疲れていたんだ。今日までこんなにも外の世界で闘ってきたんだと感じます。いくらでも休んでいけばいい。あなたはもう充分頑張った。どうぞいくらでも眠りなさい、彼女の寝顔を見ながら、私はそう心につぶやきます。

なにが彼女をこんなにも追いつめたのか、なにが彼女をここまで疲れさせたのか、私にはわかりません。

その原因をさぐり、解決策を一緒にさがしてくれるカウンセラーに、やがて彼女を紹介しよう、でも今はただ、眠る彼女を起こさないように、そうっと足音をしのばせることにします。

人はなぜ、こんなに疲れ切ってしまうほど頑張ってしまうのか、最近私はいつも思います。蓄積された若者の疲れのもとを辿っていくと、往々にしてそれは幼い時代に、すでに始まっていることも多いのです。

この夏は、子ども達に夏休みがまだ来ません。コロナウイルスで学校がお休みになった期間の授業をするために、小学生も中学生も高校生も、夏休みを返上して学校に通っているのです。「学ぶこと」が、まるで生きるための絶対前提であるかのように、大人が子ども達を頑張らせています。学校の先生も頑張らされているのです。朝から30度を上回る灼熱の道を、重いランドセルを背負ってよろよろと登校する子ども達の後姿を見ながら「学ばなければ生きることも許されないのかな」と、毎朝考えます。

小さい子ども達は、しつければしつけるほど、言うことを聞くのでしょう。鍛えれば鍛えるほど、いくらでも賢く強くなるのかもしれません。期待に応えることのできる子ども達は、まるで永久運動のように頑張りつづけ、成長を続けてくれるのでしょう。そしてそれは、無限の可能性のように見えるかもしれません。

だから大人は、子ども達を頑張らせることにやりがいを感じて「学ぶべきこと」を教え込むのでしょう。まるでそれこそが正しく美しいことのように感じているのでしょう。「学ぶべきこと」の価値の前に「夏休み」は、まるで無価値なもののように扱われています。

こうして子ども達の、「今年の夏休み」は、ブラックホールに投げ込まれ、永遠に取り戻すことはできないのです。

夏休みのもたらす、だらけた時間、リラックス、引きずり込まれるように落ちていく極上のうたたね。好きなことにのめり込んで寝食を忘れ、存分に集中する趣味の時間、2度と取り戻せない「奪われた時間」なのに、誰ひとり奪われたことに気づかない、そんな時間のきらめきを思うとき、時間泥棒の登場する、ミヒャエル・エンデの「モモ」を思い出さずにはいられません。

何よりも気にかかるのは、子ども達の中に長い時間をかけて蓄積される「疲れ」です。「子どもは疲れない」と、皆が信じています。けれど私は知っています。大人の期待に応えることに心身をすり減らし、生きることさえ難しいほど、疲れ切ってしまう若者がいることを。私は何人も見てきました、もう一日も生きていくのがつらいと死にたがるほどに、力を失った若者たちの姿を。

ねえ、休もうよ。数分でもいいからこの部屋で休んでいってよ。あなたの張りつめた心の糸が、ぷつんと切れてしまう前に。

お願いします、大人のあなたも休んでください。頑張る姿を見せる大人だけで、この世をいっぱいにしないでください。あなたの心と体にも、緩みや癒しが必要です。それは今日のような、真夏日の日かもしれません。

 

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