自分レスキュー その1(はるさんとの出会い)

5月のよく晴れた日でした。正面玄関のドアの向こう側から、彼女が現れたとき、空気がぱあっと明るくなるような感じがしました。

薄紫に染められた、麻のワンピース。自然素材のアクセサリー。素顔なのにぱっと人目をひくたたずまい、やわらかい物腰、いきいきとした声、空気感、笑顔。

私は、一目彼女を見た瞬間に、「探していたのは、この人だ。」と思いました。

2015年の初夏のことです。

「心の休憩所」を立ち上げてから一年が経ち、どうしても専門家のカウンセラーの存在が必要になっていました。心の苦しみや、深い悩みに、自分自身の体を傷つけたり、家出を繰り返したりという若い人たちのために「ぜひ専門家のカウンセリングを」という、切羽詰まった願いが、私たちの中に湧き上がっていました。なるべく早く手続きをして、カウンセラーを派遣してもらうことになりました。

派遣された心理カウンセラー・・・「はるさん」は、そんな「救世主」として、私の職場にやってきたのです。

心を閉ざした人が、彼女に会うと、なぜか心を開き、明るい表情に生まれ変わる、という奇跡のようなことが次々と起こりました。素人の私たちは、「魔法のようだ」と、ただただ驚いていました。

彼女は、柔らかい語り口調で、人の心の根っこに素早くアプローチし、こころの悩みの深い所を引き出し、その一番つらい部分をいやしてくれる、不思議な力を持っていました。

そのようすを、現場スタッフとして見ながら、私は、自分自身を救出するために、この人の力を借りたい、と思いました。

そのころの私を覆っていたのは、息をするのもつらい、という苦しみでした。しじゅう頭の中に浮かんでは消える「死んでしまう」という想念は、相変わらず体の底から湧き上がってきては、心を重くしていました。

いつも、死が心を占めていました。死をねがうことと、穏やかさを願うことは、そのころの私の中では同義でした。もういっそ、楽になるなら、夜眠りについたまま、朝が来なくてもいいのに、と願っていました。それほど私は疲れていました。その一方で、「心が晴れる一瞬」というものを味わってみたい。その気分を一瞬でも生きることができるなら、その次の瞬間に死んでしまっても構わない。と思う瞬間もありました。

強い怒りに駆られていました。同時に私は恐れてもいました。不安でした。自分を責め、罪悪感に苛まれる気分と、やもたてもいられないほどのいらだちに、何かを攻撃したくなるような気分との間をいったりきたりしていました。そんな自分のこころに自分で傷つき、もうすっかり疲れてしまっていました。

2012年、親から切り捨てられ、親を切り捨ててからの私の毎日は、それほどに一日を生きること、この一時間、このひとときを生きることが、心休まらない時間の積み重ねだったのです。そうでありながらも表面上は、何も心配事も悩みもない大人のようにふるまいながら、悩んでいる誰かのために仕事をする私のことを、はるさんは、どう見ていたのでしょうか。彼女の洞察力ならば、一目で私のことを、「重い心を抱えた人間」であると察知したかもしれません。知った上で、何食わぬ顔で一緒に働いてくれたのかもしれません。あるいは彼女は、出会ったその日から、私がそれを言い出すのを、待ってくれたのかもしれません。ある日、私が彼女に「はる先生、実は、私も相談したいことがあるんですけど」と、切り出したとき、彼女はまったく驚きもしなかったのです。

彼女は、ただ、優しく微笑んで「わかりました」と言いました。

私は、仕事を離れた場所で、きちんとカウンセリング料を払って、自分自身を救出するセラピーを受けたいと申し出ました。2015年の7月の終わりのことでした。

 

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