その手はくわない

「働く女性の声を受け『無職の専業主婦』の年金半額案も」というネット配信の記事に対し、「働く女性」達から、「そんなこと一言も言っていないのに」「勝手に対立構造を作るな」と批判が殺到している・・・という話題が盛り上がっていますね。さすがに 私も 驚きました。

私は「働く女性」の一人ですが、「専業主婦」の女性に対し、”怒り”も”対立する気持ち”もありません。もっとも身近な専業主婦である義母に対して、「この人に支えられて幸せに生きてこられた」という感謝と尊敬の気持ちしかないのです。実際そういう誰かに支えられている人は多いと思います。専業主婦に支えられて生きている人が国民の大きな割合を占めていながら「無職の専業主婦」などと、人を見下したような物言いをする。そのことに対して、多くの女性はむしろ怒っているのではないでしょうか。

27年前、夫と結婚した私を、義母=夫の母は無条件に受け入れ、認めてくれました。私を一人の大人の女性として尊重し、踏み込まず、それでいて困ったときはいつでも助けてくれました。子どもたちが熱を出して保育園に預かってもらえない時は、どんなに遠くに住んでいても彼女が駆けつけてくれました。つらい思いをしたときは、心を寄せて聴いてくれました。友人のように腹を割って対等な語り合いをしてくれました。そんな彼女といると、私は 自分自身がとても価値ある人のように思えてきたのでした。彼女は27年間、ずうっと私の味方でいてくれました。

専業主婦の彼女は、何事にも丁寧な仕事をする「プロ主婦」だと思います。手入れの行き届いた庭、掃除の行き届いた部屋、おちついた暮らしぶり。

たずねて行くと、いつでも彼女はおいしいお茶を入れてくれます。お手製の漬物や、和菓子をいただいていると、すうっと心が落ち着いていくのを感じます。子どもたちも、「おばあちゃんの家が一番落ち着く」と言います。

今日は、「母の日」ですが 私にとって感謝を寄せたい人は 義母です。義母がいてくれて初めて、私は私として、働く女性の人生を全うしているのですから。そしてその「働く女性の私」もまた、偶然の私です。「専業主婦」も「独身女性」も「シングルマザー」も、もしかしたら あったかもしれない「もう一人の私」です。そしてその人生も、私は大切に生きたことでしょう。

「働く女性」対「専業主婦」、「既婚女性」対「独身女性」、「産んだ女性」対「産まない女性」・・・・誰かが作った対立構造に煽られて、踊らされるのはもうたくさんです。「私」という主語を「私たち」に変えて、二元論の世界を乗り越えたいのです。

女性同士を対立させれば、誰かが得をするのでしょうか。人と人とを険悪にして悪者を作る人のねらいはなんなのでしょうか。

だから 私たちはそんなものに 分断されたりしません。

その手はくわない。もうだまされません。

 

 

 

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