森のワイナリー

久しぶりに地元のワイナリーに行きました。深い山の中に忽然とあらわれるその「葡萄酒工房」は、森全体の樹々を、ヨーロッパのワインの産地から連れてきたという噂のとおり、足を踏み入れた瞬間に、国籍不明の森がひろがり、樹々の生みだす新鮮な空気に、発酵したぶどうの香りが混じりながら、独特の風を吹かせています。

ひとりで森の中を歩きます。森の奥に、石造りの醸造工房や発酵所が見え始め、今年の新酒が、ワイン壜に詰められていくさまを、外から硝子越しに見ることができます。

蔵にたどりつきました。カフェも試飲コーナーも、感染予防のために閉鎖され、入り口で検温されて中に入ります。

きらきらとライトアップされたワイン壜たちは、まるで宝石のように丁寧に並べられ、大切にされたもの独特の空気を放っています。

葡萄をいちど凍結させて造った「フランシスコ」という極甘のワインが、私のお気に入りです。

街中ではなかなか手に入らない商品ですが、こうして蔵元に来れば、まとめて買うことができます。遠いところに住む友人たちへの手土産にして一緒に楽しみ、「美味しい!」と言ってもらう幸せに、気づかせてくれた味でした。

今日は、少し「大人買い」をします。関東に住むふたりの子ども達も、その友人たちも、義母も、そして今夜会いに行く大切な友人も、きっと喜んでくれるでしょう。

以前、特別支援学校の子ども達とともに、施設見学と、ぶどう狩りをさせてもらったときのことが心によみがえります。3年間を一緒に過ごして、最後に天国へ旅立った筋ジストロフィーの「彼」の笑顔や、彼の周りでは不思議と優しくなってくれた、彼らのことを、今日はしずかな気持ちで思いだすのです。

このスロープや、あの森の休憩所、あの多目的トイレ、・・この森は、すべての人に優しく作られているのです。

みんながぶどう園に行っているあいだに、車椅子から降り、血流を整える必要があった「彼」のために ワイナリーの方が用意してくれた森の部屋にさえも、甘い葡萄の香りがしていました。

「彼」は、いつも目を輝かせて、世界のすべてを目に焼き付けようとしていたように見えました。今日が嬉しくて仕方がないというような笑顔を見せてくれました。生前のそんな「彼」の最後の日々、・・修学旅行や施設見学や職業実習や宿泊体験や日々の生活のすべて・・は、やがて旅立つ彼への、この世からの贈り物として、意味深い仕事をさせてもらっているように 感じることができました。

ワインの味を楽しむこともなく、19歳でこの世を去った「彼」を思いながら、買ったばかりのボトルを 緑の中に手向けましょう。あなたの存在は、私たちの記憶から消え去ることはないんだよ。ずっと忘れない。どうか もう何もかもから許されて、おいしいワインを楽しんでね と語りかけながら。

人生におけるワインの存在はとても不思議なものだと思います。非常時には見向きもされず、たぶん「あってもなくてもいいもの」かもしれません。それでも人々は、太古の昔から、生きる歴史の中の宝物のように、丁寧に造りつづけてきたのです。そして、「非日常」という華やいだご褒美を自分たちに贈るために、それを買い求め続けてきたのでしょう。

今年は 新酒祭もなく まるで忘れ去られたように、静かな森です。私一人が 異世界に迷い込んだような午後です。

でも、永い時を生きるワイン自身にとっては、それも一瞬のことなのでしょう。

ぶどうを実らせ、それを絞り、醸造し発酵させる、この先何年も寝かせておく蔵もある。

そのながい営みに、人々の訪れは影響しない、そんな泰然とした空気も、その森には漂っていました。

新酒の季節、ワイナリーの森は生きています。

 

 

 

 

 

 

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