マッチに火をつける日

姉たちとともにお話をきかせてもらっていた私が、ひどく心を震わせたお話があります。「マッチ売りの少女」でした。

お話を聴きながら、涙をぽろぽろとこぼす私に、周りはおどろき、ひいていましたが、私には恥ずかしさよりも、胸をしめつける「せつなさ」を、止めることはできませんでした。

「マッチを売ってしまわなければ、家に帰ることはできない」こんな厳しすぎる条件を強いる親は、今で言えば虐待だと思います。でも、あのころのわたしは、ただ、少女があまりにもあわれで、胸を打たれたのです。思いつめて毎日を生きていた自分自身より、もっと思いつめた様子で、死へ向かう寒い夜を行く少女を、心で追いかけていたのです。

少女は、マッチを売ろうとしますが、家路を急ぐ人々は、そんなことにかまってはいられません。大みそかの夜なのです。みんな暖かい暖炉を囲んで、ご馳走を食べるのです。

やがて少女は、あまりの寒さに、「マッチに火をつけて」しまいます。そして、そのマッチの火の中に浮かび上がる、暖かい暖炉やごちそうの夢をみるのです。最後に少女がわずかに残ったマッチを擦って夢見たものは、この世で唯一愛してくれた。今は天国にいるおばあさんの幻でした。マッチを売りつくさなければ帰ってきてはいけない、そんな無慈悲な条件をつける父親とはちがい、おばあさんは少女をまるごと抱き留めてくれた人でした。少女のすべてを無償の愛で受け入れてくれたおばあさんの腕に抱かれることが、少女にとって、なによりも幸せな瞬間であったことは言うまでもなく、しあわせに包まれて。少女はほほえみながらおばあさんと共に天国へ旅だっていったのです。

一番印象的なのは、少女がマッチに火をつける瞬間です。暖かい至福の世界への一歩を踏み出す瞬間ですが、売り物のマッチに火をつけてしまうということは、無慈悲な言いつけをする父の所に、二度と戻れなくなる、つまり退路を断たれることをも意味します。それでも「もう戻らない」と、腹をくくる瞬間です。少女は、ながいこと、自分の心をだましだまし、愛してくれない親を許し、愛そうと努力してきたのでしょう。でも、あるとき限界を感じ「腹をきめて、親に見切りをつける」それが、少女が、「売り物のマッチに火をつける」瞬間なのです。

人生の前半、私は、とにかく頑張り屋でした。両親や姉たちから人として認められる日がくると、幼心に思っていました。それはまるでみっともない、なさけない子ども時代だと思います。けれど、本人にすれば、まじめそのもの、悲壮感すら漂っていました。抱き留めてくれる幻のおばあさんは、私にとってもまた、遠く離れた存在でした。

もしかしたら私は、心の奥深いところで、マッチに火をつける日を夢見ていたのかもしれません。

2 Replies to “マッチに火をつける日”

  1. マッチを擦った瞬間、懐かしい夢に浸ることなく顔を上げ現実に立ち向かい、自分を取り戻し生き直す少女の姿が浮かんできました。それは、あなたであり、わたしでもあると感じています。
    送っていただいたR、読ませていただきました。途中、涙目になって読めなくなりました。でも、読みながら力が湧いてきました。

    1. ありがとうございます。
      この世の多くの人たちが、「罪悪感」によって支配され、抵抗しないまま死んでいきます。でも、その「罪悪感」は、そもそも持つ必要があるのでしょうか?誰もがその肩からそれを降ろして、ただただシンプルに、軽やかに生きていけるような世界を夢見ています。

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