「素焼き」のころ

こねた粘土を、お皿のかたちにし、サンドペーパーで磨いたあと、いちどしっかりと焼きます。高温になった焼き釜が、何時間もかけてゆっくりとその温度を下げ、50度以下になるのを待って、やっととりだすことができるのです。

「素焼き」と呼ばれる、そのお皿たちを、一枚ずつ丁寧にとりだす作業が好きです。冷えた手をあたためるお皿のぬくもりと、すべすべの手触りが優しい、至福の瞬間です。

なにより私の目を惹きつけるのは、素焼きの色の、ほれぼれするような美しさです。

素焼きのお皿は無機質なはずなのに、どうしてこんなに生き生きとした色をしているのでしょう。それは、内側からじんわりと輝きを放つような、明るいフラミンゴ色なのです。

今年の4月に、今の職場に着任し「窯業班」に配属されました。週に6時間の「作業学習」を、若い人たちとともに「陶器のお皿づくり」を学ぶことのできる幸運を、この年にして授かったのでした。

生れて初めて体験する「窯業」の工程は、どれもわくわくするような楽しさです。もともと「ものづくり」が好きな私は、若者と共に技術を身に着け、一緒に成長しながらお皿を作る、この時間が大好きです。

粘土をこねてお皿を成形し、サンドペーパーで磨きます。素焼きをして、さらに磨き、底に撥水剤を塗って、釉薬をかけて、本焼きを施して、さらに磨くことで、やっと一枚の陶器のお皿が完成します。

最初の頃は、メンバーのほとんどが、どの工程もうまくできませんでした。成形のさいに指の跡をつけてしまったこと、サンドペーパーで磨きながら、力の入れ過ぎでぱっきりとお皿を割ってしまったこと、撥水剤の塗り方が甘かったために、焼きあがったお皿の底に釉薬がまだらに貼りついてしまったこと。

すべての経験が、かれらを成長に導いていきます。ひとつひとつの失敗が、人を謙虚にし、誠実にし、身に着けた技術に誇りと責任を持たせてくれるのでした。

来週のイベントで、私たちは約120枚のお皿を販売します。半年間かけて作り上げたお皿たちが、どんな風に人々に喜んで買い取られていくのか、本当に楽しみです。

それが終われば、秋は深まり、冬を越え、さらに深い思いを込めて、技術を高めながら、私たちはお皿を作っていくのでしょう。身に着けた経験と自信は、彼らをより高めてくれることと確信しています。

「素焼き」のお皿のフラミンゴ色は、お皿にとって、ほんのひとときの「通り過ぎていく時間」です。すべての素焼きのお皿は、やがてかならず釉薬をかけられ、本焼きを施されることで、さらに光沢のある青色や乳白色に染まり、本物の陶器として 半永久の強さと美しさを与えられる運命なのです。

それなのに、いや、だからこそかもしれません。私はあの、素焼きの美しさに、こころをひかれるのです。今だけのその姿を目に焼き付けておきたいという思いで、あの浮き上がるようなフラミンゴ色に、目を奪われるのです。

十代のかれらが、不安に揺れながらも成長していくその姿は、素焼きのお皿に、どこか似ています。かれらもまた、この「通り過ぎていく時間」を、いつかかならず終えて、成長し、大人になって、ここを去っていくのです。私はそんなかれらの姿を、忘れないように眺めながら、それを「素焼きのころ」と心で名付けているのです。

 

 

 

 

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