「先生」を辞めました。

「‍学校の先生」を、この春退職しました。58歳、与えられた年限より5年早く、自分自身で幕を引きました。あたたかく見送ってくださったみなさん、36年間に出会ってくれたみなさん、本当にありがとうございました。

1988年春、大学の教育学部を卒業した私は、子どもの頃からの「学校の先生になりたい」という夢を叶え、浮かれていました。そんな私を嘲笑うかのように、現実は厳しいものでした。

心と体を損なうことなく、こうして無事に退職できたのが、正直「奇跡」のようにも思えます。

教員生活は、楽しいことも多かったのですが、思えば「ほっとする」瞬間は、一秒もありませんでした。私のもてる力の斜め上をいく難しい責任が、毎秒毎秒、試練のように私を待ち受けていたからです。

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そこに私も

あの朝、体に流れ込んできたあの感覚は、たしかに初めてのものでした。

そのくせ、「あっ そうだった!」と、まるで忘れていた何かを思いだしたような驚きをも感じたのでした。

よく晴れた高原のコテージで、澄んだ空気の中、深い眠りから醒めた私は、ひとり部屋を抜け出し、朝の露天風呂に入りました。そのあと家族とともに、レストランへ移動し、朝食のテーブルに着きました。そして、最初のひとくちに選んだのが、今朝牧場から届いたばかりの、真っ白い牛乳でした。

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旅する理由

2022年は、旅の日常が少しずつ戻ってきた年だったと思います。感染のリスクを頭の隅におきながらも、家の中に閉じこもることなく、そろそろと動き出し、小さな旅に再び踏みだした年でした。移動中の交通機関の中では誰もがマスクをつけたまま、行儀よく沈黙しています。あらゆる場所の入り口で検温をし、手指消毒をすることにもすっかり慣れました。制限を受けた旅であっても、2年ぶりに許された今年の旅には、以前とはまったくちがう胸のふるえを感じました。

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ただ『在る』だけで。

今年の暑さは、伝説の「1994年の夏」を超える、特別なものになるのでしょう。この危険な暑さの中で、子どもの命をまもりながら過ごす、多くの親御さんたちを、応援します。

今日は8月16日、私にとっては大切な日です。2000年の夏、幼い息子を、炎天下に放置してしまった『ごめんね記念日』だからです。

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「殺したくないです」と言える世界に

「暴力はあってはならない。」「殺人は、人として許されない、最も卑劣な犯罪です。」安倍元首相の死後、連日繰り返される「殺人」の罪深さ、そんなに繰り返さなくても、みんな知っています。私たちは、ものごころついてから何よりも早く「人を殺すこと」が最大の罪であることを教えられてきましたから。

その一方で、日々国と国との戦争の映像が流され続け、軍備の必要性が報じられています。この光景は何なのでしょう。互いに互いの責任を問う戦争の、真実はよくわかりません。わかっているのは、元首相の死と同じ瞬間にも、そして今でも、世界のどこかで幾多の命が、とめどもなく奪われ続けているという事実です。

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「インナーチャイルド」への贈り物

 

初めての「リカちゃん人形」を買いました。夏の帽子をかぶって遠くを見つめる姿に、いまにもまっすぐ歩き出しそうなパワーを感じます。大人になった自分から インナーチャイルドの自分への贈り物をしたのです。

不安定な社会情勢で、多くの人が、「癒し」を求めているようです。日々を何気なく生きて来た私もまた、自分の中の「心の底に棲む子ども=インナーチャイルド」のケアをしたいと思います。

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後悔しても

「後悔のない人生の秘訣は『決して後悔しない』と決めること」という言葉に出会ったのは、ごく若い頃でした。誰の言葉だったか思い出せませんが、当時の私は、人生の決断をする必要に迫られており、背中を押してくれたこの言葉を、今も忘れることはありません。

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沖縄を まだ 知らない

沖縄が大好きです。空から降りていくときの海の青さや、街にただよう懐かしい空気感 そして沖縄の人の温かなおおらかさに 魂を鷲掴みにされた人間のひとりです。そうやって、沖縄を語り、知ったつもりになっていたけれど、本当は、私は沖縄を、まだ、ほとんど知らないのだ と気づきます。今日は、1972年5月15日から50年目の 特別な日です。最近はずっと「沖縄を知らない」という思いに、なんども押し寄せられています。 “沖縄を まだ 知らない” の続きを読む

美しい 約束

通りすがりに 私を見て「ヒマそうだから」と話しかけてくれる子どもがいます。うれしいことです。「ヒマそう」は、私にとって、子ども達からの、*褒め言葉なのです。のんびりと生きている大人の姿を見せてあげられるのが、子どもへの「贈り物」だと思うからです。

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マブイを落としてしまいました。

自転車通勤を始めて、もう一か月が過ぎました。納車の遅れたクルマを待ちつづける日々、自転車のペダルをこぐ17分の通勤路にも、慣れました。

その日は4月22日の金曜日の朝でした。一週間の仕事で少し疲れを感じていました。

つめこまれた仕事の内容が混み合いすぎて、どう頑張っても「不可能」な一日でした。せめて今日は早めに出勤しようと、いつもとは違う時間帯の通勤路を走っていたのです。

その朝のことを思いだそうとすると、不思議なことに、なぜか「パラレル」という言葉が浮かぶのです。

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