「シャットダウン」してみたら

金曜日の夕方、タイム・カードを鳴らして仕事場をあとにするとき、一週間分の記憶が頭に溜まっているのを感じます。今週も良く頑張りました。私なりに最善を尽くしました。えらいぞ私。思い通りに行かないこともありました。思いだすだけで腹の立つようなこともありました。私は自分にささやきます。「もういいよ。忘れよう。大したことじゃない。」そうして、無理やり「シャットダウン」するのです。仕事のことを休日に考えるのはもうやめよう、と。 “「シャットダウン」してみたら” の続きを読む

「自分レスキュー」置いとくね。

生きている。それだけでいい。何もなしとげなくても、誰にもほめられなくても、誰からも認められなくても、自分で自分を受け入れられなくても。生きていること、ただそれだけでいいのに。

風にふかれる葉っぱのように、窓の外を見る犬のように、ただ一日を生きることに専念する。それが本当は一番難しいのかもしれません。

コロナ時代と言われて、ずいぶん長いときが経ちました。蓄積していく「こころの疲れ」に、世界全体が苦しんでいるようなニュースが続きます。多くのひとが自ら命を絶つほどに、「ただ生きること」が難しい時代なのでしょうか。

「今日一日を生きるのがつらい」そう思った時期が私にもありました。

こころの水底に沈み込んでしまって、もう少しで死んでしまいそうな「仮死状態の自分」のところへ、酸素ボンベをつけて降りていき、自分のいのちを助け出すような心理的救出の経験が、私にはあります。

そんな自分の半生の物語である、このブログの前半部分をまとめた本が、やっと完成しました。つむぎ書房さんの公式ホームページやアマゾン、また電子書籍などで2022年1月24日に発売されることになりました。

タイトルは「自分レスキュー」~あたらしい人生への扉~ となりました。

この時代の息苦しさに悩む、ひとりでも多くの人の手元に届いて欲しいと願っていますが、読んでもらえるかどうか、人に受け止めてもらえるかどうかは、実は私にはわかりません。

わからないから、ただ「置いとくね。」という気持ちでいます。置いておくから、良かったら どうぞ、という気持ちです。

窓の外はもう暗くなっています。冬至が近づいているのです。

何もしなくても、ただこうして日々を生きているだけで、私たちは充分許されている と気づいたから、風にふかれる葉っぱのように、窓の外を見つめる犬のように、ただ一日を生きることに専念してみようかな、と、この年の瀬に思うのです。

 

 

 

 

 

 

「素焼き」のころ

こねた粘土を、お皿のかたちにし、サンドペーパーで磨いたあと、いちどしっかりと焼きます。高温になった焼き釜が、何時間もかけてゆっくりとその温度を下げ、50度以下になるのを待って、やっととりだすことができるのです。

「素焼き」と呼ばれる、そのお皿たちを、一枚ずつ丁寧にとりだす作業が好きです。冷えた手をあたためるお皿のぬくもりと、すべすべの手触りが優しい、至福の瞬間です。

なにより私の目を惹きつけるのは、素焼きの色の、ほれぼれするような美しさです。 “「素焼き」のころ” の続きを読む

十代との「哲学対話」

「哲学対話」をしています。半年前から一緒に過ごすようになった彼らがどんな思いを持っているのかを、もっと知りたいと思ったことがきっかけです。

哲学対話のルールは、「何を発言してもよい」「他の人の発言を否定しない」「発言しなくてもよい」「問いかける」「言おうとして上手く言えず、黙ってしまう人がいても、促さずに待つ」「話がまとまらなくてもよい」「途中で自分の考えが変わっても良い」「わからなくなっても良い」「人を傷つけない」「答えが出なくても良い」です。 “十代との「哲学対話」” の続きを読む

「早期決断」を手放すということ。

久しぶりに帰郷した息子とともに、ドライブがてら、近くのワイナリーに出かけることになりました。助手席に息子を乗せ、愛車のエンジンをかけた瞬間、ふと自分のETCカードを失くしたことに気づきました。財布の中にも、カバンの中にもありません。あわてふためいて、エンジンをかけたまま、自宅に戻って探しまわっても、どこにもありません。半ばパニック状態に陥りながら、大切なカードを探し回る私に、息子は言いました。「まずはとにかく、一回落ち着いて。ETCカードは俺のがあるし、運転も俺がするよ。そんなに動揺して運転したら危ないからね。」そうして息子は、運転を代わってくれました。

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夏の思い出 その3 残酷な大人を育てる方法

 

「従順」で「善良」「親を神のように尊敬し」「親からの支配を喜んで受け入れる」そんな人格を形成するための、厳格で支配的な教育理論、それが、戦前のドイツを席巻した、シュレーバー教育です。

子どもが生まれてまもなく、その早期教育は始まります。子どもが感情的に泣いたり、大きな声を出したり、「わがまま」を言って親を困らせたりすることの決してないよう、物心がつく前から、体罰を使ったり、子ども自身に恥をかかせ、その羞恥心を利用して子どもをコントロールすることをすすめます。

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夏の思い出 その2 ラジオ体操を知らない少年たち

小学校6年生の夏に、山の「青年の家」で「スポーツ少年団合同合宿」に参加した夏の思い出です。

合同合宿が始まって、2・3日たった日の、彼らの登場は唐突でした。

真っ白な肌と金色の髪を持つ20人ほどの少年たちが、ぞろぞろと目の前に現れたのでした。

ひょろひょろと背の高い彼らは、押し黙ったまま、にこりともせずに整列しました。長旅を経て、わけもわからずこんな山の中に連れてこられた、というような、疲れの色が見えました。

私にとっては、生まれて初めて見る、異国の人でした。

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「いまじゃない!」

「なぜだかわからないけれど、いつも仕事に追いまくられている」と感じる日々が、半年間続きました。

4月に転勤したために、業務の内容に慣れるのに時間がかかったせいでしょうか。年齢を重ね、新しい仕事を覚えるのが不得手になったのでしょうか。

「なぜだかわからないけれど、いつも仕事に追いまくられている」のは、私だけでなく、働く人々の多くが感じているということに、最近気づきました。

多忙の原因となる『なにか』の正体を見極めなければ、『なにか』を消すことはできません。『なにか』の正体はいったい何?半年間、見えない『なにか』に振り回されながら、ひとりで考え続けました。

そして、最近、ふと気づいたのです。

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夏の思い出 その1 「野性」の発見

夏が終わりました。騒がしい世界のはしっこの、九州のかたすみで、日々を淡々と送りながら、過ぎたいくつもの夏が、ときどき心に浮かびました。

家にこもるのに疲れた日は、山に行きました。人のいない九州の山々、クルマで2時間も行けば、標高が高く温度も空気感もがらりと違う高地にたどりつくことができます。

ふと思いついて、小学6年生の夏の、思い出の場所に行ってみました。かつて集団宿泊施設としてさかんに利用された「青年の家」です。人けはなく、立ち入り禁止のロープが張られて閉鎖されたその建物は、子どもの頃に見た、あの威容も活気もありませんでした。それでも周囲の山々や、自然散策コースなどは、あの日のままの姿で、この場所に、40年以上の時を経て戻ってきた私を迎えてくれました。

1977年、夏休みを控えたある日のことでした。小学生の私はバレーボールチームのコーチに呼ばれ「スポーツ少年団の合同キャンプに行くように」と言われました。

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ブログの夏休み(書籍化のおしらせ)

7月になりました。今年も折り返しを過ぎ、後半の下半期に入りました。2019年の1月から、休むことなく続けてきたこのブログですが、初めて、まとまった「夏休み」をいただくことにしました。次に更新するのは、少し先になります。

このブログも、2年半の間に、150回の更新をしました。そのうちの前半の「自分史」のような部分をまとめ、加筆して、書籍化させていただくことになりました。私にとっては生まれて初めての本です。その準備として自分の原稿に向き合い、赤ペンを握りしめる時間が必要になり、最近は時間がなかなかとれなくなってきたことも、このブログの「お休み」をいただく理由のひとつです。

他でもない、このブログから生まれる本ですので、一生懸命こころを込めて、良いものに仕上げたい、そして、より読みやすい形で、みなさんにお届けしたいという気持ちで、一心に机に向かいたいと思っています。お届けできる日がきましたら、いちはやくお知らせします。その時は、ぜひ手に取っていただきたいと思っています。よろしくお願いします。

梅雨の終わりの激しい雨への不安や、そのあとにやってくる灼熱の夏への予感が私たちの心を圧迫します。この4月からの新しい環境に慣れるための我慢が、少しずつ体や心を疲れさせ、きしませるからか、毎年、7月は体調を壊しがちです。自分で自分を労わることで、この時期を乗り越えましょう。

私も今回、2年半ぶりの、初めてのブログのお休みをいただくことが、よい意味での「引き算」となることを信じます。みなさまの周りにも、素敵な夏が訪れますように 遠い町からお祈りしています。

「わからない」を「わかる」。(無知の知?)

最近ある人が「気持ちをわかってくれる人に出会ったのは7年ぶり。」と、私のことを褒めてくれました。

彼女のそのひと言は、私を元気づけてくれますが、不思議なものです。私は先日、彼女に向かってこう言ったからです。

「私には、たぶんあなたの気持ちはわからない。あなたの立場に、私は立ったことがないから。」と。

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「自尊」のすすめ

朝、起きたときは、まず、ごく普通の体調で、当たり前の時間に目覚めるという「偉業」を成し遂げた「自分を尊敬」しましょう。それは、本当に貴重で、立派なことなのだということに気づき、「今日を普通に生きてる私ってエライ!」と、まずは自分自身を褒めましょう。

夕方、一日を終える頃の自分には、多少の失敗があったとしても、誰かに激しくダメ出しをされたとしても、「今日も頑張って生きた私はエライ!」と「自分を尊敬」し、自分の頭をヨシヨシと撫でましょう。それを毎晩の習慣にしても良いくらいです。 “「自尊」のすすめ” の続きを読む

「命令解除」してますか

「『よっこいしょういち』っていう人がいますよね。あれって誰ですか?「よっこいしょういち」っていう芸人さんがいるんですか?」

そんな風に若い人から訊かれて、「隔世の感」に打たれるのは私だけでしょうか。横井庄一さんのことを知らない人々が、周りにこんなに増えるなんて、あの頃の私は思ってもみませんでした。

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