犬と暮らせば  その5

暑い日に、通り過ぎていく今日のような夏の雨が好きです。濡れたアスファルトから立ち上る夕立の匂いと、目まぐるしく変わる空模様、急に暗くなった空に稲妻が走り、遠くから近づいてくるカミナリの音を聴くと、いつもベルのことを思い出します。ベルが亡くなって、もう7年もたつというのに です。

賢い犬種とされたボーダーコリーのベルですが、さすがに犬ですから、言い聞かせても理解できないことはありましたし、苦手なものはたくさんありました。

そのひとつが、「カミナリ」や「打ち上げ花火」などの「大きな音」でした。

犬の聴力は人間の20倍以上あると言われています。そうだとするならば、あの恐ろしいカミナリの音にパニックを起こして、言いつけを破ってしまうとしても、誰がそれを責められるでしょう。実は軽々と超えることのできる、それでも飼い主への仁義で、普段は絶対に超えようとしない家の周りのフェンスを 我を忘れたベルは一瞬で飛び越えて、必死で走って逃げて、行方不明になってしまうことがたびたびありました。決まって、カミナリか、花火の音が原因でした。

ベルが行方不明になると、家族4人で町中を探し回りました。あるときはおばあちゃんの家の庭先で発見されることもありましたし、あるときは4軒先の、ゴールデンレトリバーの牝犬の懐で震えていたこともありました。どうしても見つからなくて、何日も何日も経って、保健所に探しに行くと、ガス室の直前の部屋に囲われていたこともありました。「やっと来てくれた」コンクリートの暗闇で、私たちを見上げて、ベルはそんな顔をしていました。

私とともに保健所に迎えに行った娘は、ベルを助け出し 黙ったまま、沈んだ顔をしていました。

ベルが逃げ出したとき、娘は家で一人で留守番をしていたのでした。「もっと早くカミナリに気が付いて、庭のベルを犬舎に入れていれば、こんなことにならなかったのに」「ベルがこんな目にあったのは 自分のせいだ」と娘は自分を責めていたようでした。

子どもが、家でひとりで留守番をしていて、カミナリが鳴り出したら、普通の子なら「怖い」で終わってしまうでしょう。犬を飼うということは、子どもに「怖い」で終わることのない、責任感を要求することなのです。大きな音にパニックを起こした犬を、雨とカミナリの庭で、ウッドデッキの下からひっぱりだして犬舎に入れることは、それでなくても大変で、子どもが一人でできることではありませんでした。

大きな音を怖がって物陰に逃げ込むベルをみんなでひっぱりだしたことも、嵐の音に震えるベルを慰めたことも、行方不明になったベルを、保健所に迎えに行ったことも、今となっては家族の、かけがえのない思い出です。

ベルの思い出が私たち家族に教えてくれた大切なことは、数えきれないほどあります。

ことに、子どもたちにとって、家族の中に「自分の思い通りに動いてくれない存在」がいることは、大きな影響を与えたように思います。

子どもの気まぐれで飼い始めた命に、夢中になって遊ぶ時間が過ぎて、自分たちが中学生になって忙しくなっても、犬の存在に慣れきって 飽きてしまったりしたとしても、「いのち」は終わらない。夏の暑い日も、冬の寒い日も、晴れの日も雨の日も、嵐の日も雷の日も、散歩に行ったり、餌をあげたり、下の世話をしたり体を洗ったり、予防注射を受けさせたりの「いのちの日常」を投げだすことはできない、2人の子どもたちは、自分たちの意志で迎えた ベルという命に、それを教えられたようでした。

犬は、人間の7倍の速さで年をとると言います。その摂理を私たち家族が知らされることになったのは、2005年の秋のことでした。まだ2歳半、ほんの子どもと思っていたベルが、ある日突然 何の前触れもなく 出産を始めたのでした。

 

 

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