若い子が、交際している恋人と「結婚したい!」と考えて、その思いを親に伝えました。親世代は55歳前後、この親たちが、その結婚を応援したいと考えても、85歳前後の「祖父・祖母」が、「孫の姓が変わること」や「相手が気に入らない」ために、この結婚に反対したそうです。最近の85歳は、なぜかとてもパワフルで発言力が衰えず、55歳は85歳に逆らうことができません。当時25歳の若い子は、大切な祖父母の意見を尊重するように育てられていました。そしてついに「結婚をあきらめる」という悲劇がありました。これを私は「855525問題」と呼びたいのです。「8050問題」に匹敵する、むしろそれにもまさる、深刻な社会問題だと思うからです。
先日、「選択制夫婦別姓」の国会審議で、「姓を変えないといけないから結婚できない」「夫婦同姓が結婚の障害になっている」という説明に対し、「だったら結婚しなくていい」とヤジを飛ばした議員に対する批判があがっているそうです。ヤジを飛ばされた議員は「こういうことだから少子化が止まらなかった」とコメントしています。
このやりとりの根本にかえってみましょう。「姓を変えないといけないから結婚できない」と言ったのは、若い男性と交際中の女性です。さて、この女性は、どうして「姓を変えないといけないから結婚できない」と言ったのでしょう。この女性に「お前には我が家の『姓を残す責任』があるのだ」と言って、女性の「結婚したい」気持ちにブレーキをかける「誰か」が、存在するからだと思います。
憲法第24条に『婚姻は、両性の合意【のみ】に基づいて成立し』と記されています。つまり、法的に言えば、成人した若い人たちは、結婚するのに「親の許し」や、まして「祖父母の許し」を得る必要は、本当はないのです。結婚すれば新しい戸籍を作り、全く別の家族としてスタートするのですから、「どこの家の一員になる」とか「嫁に行く」「婿に入る」などという言い方は、実は80年以上も前に手放した「過去の時代の因習」に過ぎないのです。
それなのに、若い世代に「結婚は、すべての人から祝福される相手を選ばなければならない」という『呪い』をかけ、親戚中の中の誰か一人でも反対する人があれば、「はい 最初から選びなおし ね」と、若者に無理難題をふっかける、という話を、よく耳にします。これでは、若者も「結婚しよう」という意欲がそがれると思うのです。
だいたい、親戚中に一人くらいは、人の幸せを望まないタイプの「ケチをつけがち」な人がいるかもしれないし、現実問題として「誰もが祝福する相手」を連れてくる、ということは、本人同士よりも「周囲への忖度 周囲からの許可」で結婚相手を決めるという、いわば不自然なカップリングとなることでしょう。
しかも、この少子化の社会では、若者のほとんどが「長男・長女」であり、「『我が家の姓』を残せ」と言われる者同士が交際することになります。実家の姓を残せない、という理由で結婚を諦める、という例は、実際のところ多いと思います。
それだけではありません。彼らは若いので、経済的にも生活的にも、まだまだ不安定かもしれませんし、最近のグローバル化により、相手の方の国籍や人種や出身地や、あるいはステップファミリー化や性別など多様化していて、昭和のころに社会モデルとして示された「平均的な」カップリングではないかもしれません。
それでも若者が「パートナーと暮らしたい。子どもを育てたい。」と望むのなら、応援してあげたいと、思う親は多いのではないでしょうか。
今の50歳代、つまり、私たち世代は教育によって、「人種や国籍や出身地などによって、結婚差別をすることは、人間として恥ずかしいことだ」という、まっとうな人権意識を身に着けている人が多いと思うのです。そして、新しい多様化した時代に、様々な背景のカップルがあるのだ、という現実も知って、互いにそれを受け入れている世代だとも言えるでしょう。
それに対し「我が家の姓を継いでくれるのはどの孫だ?」とか、「相手の家柄は、出身地は」などという差別的なことを言いだすのは、それよりもっと、年齢的に上の世代の人たちであり、「子は親の言うことをきくのが当たり前」と信じて疑わない、古い価値観を持つ世代の人たちなのでしょう。
「少子化が止まらない」のは、若者の結婚に対して、ただただ応援するのではなく、頑迷にもケチをつけて、その若い意志を折り取ろうとする人の数の多さにも、原因の一端があるのではないかと私は思います。
もちろん、若者が結婚後、離婚したり、再婚したり、生活に困難を抱えることもあるかもしれません。そのすべてを「それもいい」と受け止めて応援し続ける社会でありたいと思います。「あるかもしれない未来の不運」をあげつらって若者の勇気をくじくのではなく、「いまある若者の意志」を大切にしたいのです。
855525問題は、「高齢の親の言うことを絶対にきくべき」という、『善なる呪い』から逃れられない私たち中年世代の問題だと思うのです。
私たちは、未来を支えてくれる若者たちのそばに立ちたいものだと思います。
人数の少ない、経験も少ない、発言力の弱い、でも未来への可能性を持つ、大切な若者たちの意志を、上から押しつぶす勢力がもしあるとするならば、その圧力を押し戻す存在でありたいと、思うのです。
夫婦別姓、事実婚、同性婚、さまざまなパートナーシップを認めることにより、出生率が回復したフランスのパリ市などでは、生まれた子ども達のうち6割が婚外子だといいます。
子どもを産むことやパートナーシップに対する、社会の不寛容や、「古い家族観」へのこだわりを脱ぎ捨てないことには、この国の少子化は、もうどうにもならないところまで来ていると、私は思います。
「私たちの望む、『理想の結婚』をしろ。早くしろ。いやその相手はダメだ。次の相手を早く連れてこい。」と、親戚中でプレッシャーをかけて若者に迫る時代は終わりました。
「あの子たちに 無理いうの、もう止めようよ」と、親戚に告げることを始めたいものだと、思うのです。
その一歩を踏み出すのは、「855525」の中心にいる、私たち自身なのだと思います。
「855525問題」さすが鋭い指摘だなあと思いました。
私は妹と二人姉妹。どちらも姓を引き継いでおらず、私の旧姓はどこにもありません。でもそれはたまたま母が父や父の親族を嫌っていたので,
母から「養子をもらえ」だの「この家はどうするんだ」などまったく言われなかったからで、まあ今となれば幸いだったなあと思います。でも、お墓はあるので今はその「墓じまい」に悩んでますが…。たぶん、この「墓問題」も私たち中年世代が解決していかなければならないのでしょうね。
お墓についても、社会全体が大きな曲がり角に来ているかもしれません。あちこちで話題になっていますね。
私たち55歳が社会の中心として「未来のために決断するとき」が来ているのだと思います。「上の言うことにしたがい、長いものに巻かれる」ことだけを教わったバブルな私たちは、戦前の大人からのイデオロギーにだまされたと言う自覚のある戦中世代や、就職氷河期に鍛えられた若い世代に比べると、従順に、ただ従順に生きて来たような気もしますが。