「上機嫌」な大人

「上機嫌な大人」が好きです。タレントで言えば、所ジョージさんのような人に惹かれます。自分の人生を楽しむことに、罪悪感を持たず、自分以外の誰の人生にも寛容で、肩の力を抜いていて、なんだかいつも楽しそうな人、あんな人になれたらいいのにと思います。

中学1年生の頃に担任だった男の先生は、明るい人でした。夏休みのキャンプで祖母山に登ったのですが、そのさい、先生がリーダーだったと記憶しています。山に登るのが好きな、活動的な先生でした。

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サーカスの象は なぜ。

支配的な上司のもとで、管理されながら働くうちに、「ひとの言うことに従う」ことにすっかり慣れてしまい、なにかを自分で考えたり、決めたりすることを諦めてしまおうとしている自分がいます。ときどき、そんな自分に気づくことがあります。

子どもの頃、「親の言うことにさからうと、どんなにひどい目に遭うか」ということを、身をもって覚えさせられた子どもは案外多いものです。そんな彼らは、なにかものごとを選んだり、決めようとするたびに、心の中に棲む「神のような親の存在」に、お伺いをたてる癖が、なかなか治りません。かりに、自分の人生の大切な局面で、その癖が事態を混乱させたとしても、彼らがその呪縛から逃れることは、とても難しいのです。

それは、どこか「サーカスの象」の姿に、似ています。

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「弱さの情報公開」について

オリンピック期間中、女子カーリングチームの観戦に熱中し、終わったときは、「さびしい」と感じました。勝っても負けても関係ないのです。彼女たちの笑顔や、互いに励まし合う姿を観ていると楽しかった。それがこの冬の、私への贈り物でした。

「感情を表に出し、積極的に悩みを打ち明けること。互いの弱い部分でつながること。『弱さの情報公開』をすること。」・・・ロコ・ソラーレの吉田選手が、自分たちのコミュニケーション力についてそう語っているとの記事を読み、おどろきました。

『弱さの情報公開』という言葉を、ここで使ったことに、じんわりとした驚きを感じたのは、私だけではないと思います。

『弱さの情報公開』、もしかしたら北海道の人々にとって、この言葉はもう共用語なのでしょうか。あるいは吉田選手は、これを機に、この言葉と、この言葉の発祥の地である北海道浦河町の「べてるの家」のみなさんに、敬意の光を向けようとしたのでしょうか。いっそ流行語になれば良いと私も思います。

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『生前記憶』があるのなら

「生まれていないんだから 憶えているはずがない。」

みんなの思い出話にうなずく末娘の私を、たしなめるように父は言いました。

そのとき私の中に「じゃあいったい あれは何だったんだろう?」という困惑が広がりました。私の中には、確かな記憶があったからです。

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挨拶「させる」大人たちへ

「おはようございます? うん! 良いあいさつだね!合格!」

「おはようございます? あれ? 声が小さいぞ!やりなおし!」

「おはようございます? ん?ん? おはよう ご ざ い ま す!!」

朝から、わざわざ腰をかがめて、うつむいた子ども達の視界に入るように、顔をのぞきこんで、子どもが挨拶をするまで、大きな声で繰り返す学校の先生たち。来るなり「ジャッジ」される、朝の子ども達。

不自然な光景です。

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「シャットダウン」してみたら

金曜日の夕方、タイム・カードを鳴らして仕事場をあとにするとき、一週間分の記憶が頭に溜まっているのを感じます。今週も良く頑張りました。私なりに最善を尽くしました。えらいぞ私。思い通りに行かないこともありました。思いだすだけで腹の立つようなこともありました。私は自分にささやきます。「もういいよ。忘れよう。大したことじゃない。」そうして、無理やり「シャットダウン」するのです。仕事のことを休日に考えるのはもうやめよう、と。 “「シャットダウン」してみたら” の続きを読む

「自分レスキュー」置いとくね。

生きている。それだけでいい。何もなしとげなくても、誰にもほめられなくても、誰からも認められなくても、自分で自分を受け入れられなくても。生きていること、ただそれだけでいいのに。

風にふかれる葉っぱのように、窓の外を見る犬のように、ただ一日を生きることに専念する。それが本当は一番難しいのかもしれません。

コロナ時代と言われて、ずいぶん長いときが経ちました。蓄積していく「こころの疲れ」に、世界全体が苦しんでいるようなニュースが続きます。多くのひとが自ら命を絶つほどに、「ただ生きること」が難しい時代なのでしょうか。

「今日一日を生きるのがつらい」そう思った時期が私にもありました。

こころの水底に沈み込んでしまって、もう少しで死んでしまいそうな「仮死状態の自分」のところへ、酸素ボンベをつけて降りていき、自分のいのちを助け出すような心理的救出の経験が、私にはあります。

そんな自分の半生の物語である、このブログの前半部分をまとめ、加筆した本が、やっと完成しました。つむぎ書房さんの公式ホームページやアマゾン、また電子書籍などで2022年1月24日に発売されることになりました。

タイトルは「自分レスキュー」~あたらしい人生への扉~ となりました。

この時代の息苦しさに悩む、ひとりでも多くの人の手元に届いて欲しいと願っていますが、読んでもらえるかどうか、人に受け止めてもらえるかどうかは、実は私にはわかりません。

わからないから、ただ「置いとくね。」という気持ちでいます。置いておくから、良かったら どうぞ、という気持ちです。

窓の外はもう暗くなっています。冬至が近づいているのです。

何もしなくても、ただこうして日々を生きているだけで、私たちは充分許されている と気づいたから、風にふかれる葉っぱのように、窓の外を見つめる犬のように、ただ一日を生きることに専念してみようかな、と、この年の瀬に思うのです。

 

 

 

 

 

 

「素焼き」のころ

こねた粘土を、お皿のかたちにし、サンドペーパーで磨いたあと、いちどしっかりと焼きます。高温になった焼き釜が、何時間もかけてゆっくりとその温度を下げ、50度以下になるのを待って、やっととりだすことができるのです。

「素焼き」と呼ばれる、そのお皿たちを、一枚ずつ丁寧にとりだす作業が好きです。冷えた手をあたためるお皿のぬくもりと、すべすべの手触りが優しい、至福の瞬間です。

なにより私の目を惹きつけるのは、素焼きの色の、ほれぼれするような美しさです。 “「素焼き」のころ” の続きを読む

十代との「哲学対話」

「哲学対話」をしています。半年前から一緒に過ごすようになった彼らがどんな思いを持っているのかを、もっと知りたいと思ったことがきっかけです。

哲学対話のルールは、「何を発言してもよい」「他の人の発言を否定しない」「発言しなくてもよい」「問いかける」「言おうとして上手く言えず、黙ってしまう人がいても、促さずに待つ」「話がまとまらなくてもよい」「途中で自分の考えが変わっても良い」「わからなくなっても良い」「人を傷つけない」「答えが出なくても良い」です。 “十代との「哲学対話」” の続きを読む

「早期決断」を手放すということ。

久しぶりに帰郷した息子とともに、ドライブがてら、近くのワイナリーに出かけることになりました。助手席に息子を乗せ、愛車のエンジンをかけた瞬間、ふと自分のETCカードを失くしたことに気づきました。財布の中にも、カバンの中にもありません。あわてふためいて、エンジンをかけたまま、自宅に戻って探しまわっても、どこにもありません。半ばパニック状態に陥りながら、大切なカードを探し回る私に、息子は言いました。「まずはとにかく、一回落ち着いて。ETCカードは俺のがあるし、運転も俺がするよ。そんなに動揺して運転したら危ないからね。」そうして息子は、運転を代わってくれました。

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夏の思い出 その3 残酷な大人を育てる方法

 

「従順」で「善良」「親を神のように尊敬し」「親からの支配を喜んで受け入れる」そんな人格を形成するための、厳格で支配的な教育理論、それが、戦前のドイツを席巻した、シュレーバー教育です。

子どもが生まれてまもなく、その早期教育は始まります。子どもが感情的に泣いたり、大きな声を出したり、「わがまま」を言って親を困らせたりすることの決してないよう、物心がつく前から、体罰を使ったり、子ども自身に恥をかかせ、その羞恥心を利用して子どもをコントロールすることをすすめます。

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夏の思い出 その2 ラジオ体操を知らない少年たち

小学校6年生の夏に、山の「青年の家」で「スポーツ少年団合同合宿」に参加した夏の思い出です。

合同合宿が始まって、2・3日たった日の、彼らの登場は唐突でした。

真っ白な肌と金色の髪を持つ20人ほどの少年たちが、ぞろぞろと目の前に現れたのでした。

ひょろひょろと背の高い彼らは、押し黙ったまま、にこりともせずに整列しました。長旅を経て、わけもわからずこんな山の中に連れてこられた、というような、疲れの色が見えました。

私にとっては、生まれて初めて見る、異国の人でした。

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「いまじゃない!」

「なぜだかわからないけれど、いつも仕事に追いまくられている」と感じる日々が、半年間続きました。

4月に転勤したために、業務の内容に慣れるのに時間がかかったせいでしょうか。年齢を重ね、新しい仕事を覚えるのが不得手になったのでしょうか。

「なぜだかわからないけれど、いつも仕事に追いまくられている」のは、私だけでなく、働く人々の多くが感じているということに、最近気づきました。

多忙の原因となる『なにか』の正体を見極めなければ、『なにか』を消すことはできません。『なにか』の正体はいったい何?半年間、見えない『なにか』に振り回されながら、ひとりで考え続けました。

そして、最近、ふと気づいたのです。

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夏の思い出 その1 「野性」の発見

夏が終わりました。騒がしい世界のはしっこの、九州のかたすみで、日々を淡々と送りながら、過ぎたいくつもの夏が、ときどき心に浮かびました。

家にこもるのに疲れた日は、山に行きました。人のいない九州の山々、クルマで2時間も行けば、標高が高く温度も空気感もがらりと違う高地にたどりつくことができます。

ふと思いついて、小学6年生の夏の、思い出の場所に行ってみました。かつて集団宿泊施設としてさかんに利用された「青年の家」です。人けはなく、立ち入り禁止のロープが張られて閉鎖されたその建物は、子どもの頃に見た、あの威容も活気もありませんでした。それでも周囲の山々や、自然散策コースなどは、あの日のままの姿で、この場所に、40年以上の時を経て戻ってきた私を迎えてくれました。

1977年、夏休みを控えたある日のことでした。小学生の私はバレーボールチームのコーチに呼ばれ「スポーツ少年団の合同キャンプに行くように」と言われました。

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