『冬至が過ぎると、ほら、一日一日、日が長くなってね、どんどん夕方が明るくなるのよ。不思議よね。』若い頃、ある先輩女性にそんな風に声をかけられて、初めて意識するようになりました。言われてみれば、これまでの暗い毎日が嘘のように、夕方がみるみる明るくなることに気づきます。
冬至までの毎日は、一日一日、朝日が遅くなり、日の沈む時間が早くなります。体がリズムを受け取るかのように「暗さ」に心と体をひっぱられ、気分が重く沈みがちでした。とくに今年の冬は、コロナによる社会不安も手伝って、心は常にずしりと沈みそうになりました。だからこそ、太陽の光が戻ってくるこの時期を、特別な思いで待っていました。
クリスチャンの方々が聞いたら、なにをいまさら、救世主キリストの誕生という奇跡も、意味あってこの時期に起こったのだ と言うのかもしれません。
宗教を持たない私ですが、ただ自分の肌感覚で、この 光満ちる季節へ向かう日々に、しみじみと「希望」を感じるのです。
子どもの頃「ムーミン谷の仲間たち」を見ました。フィンランドの位置も知らず、地理もわからないながら、忘れられない場面がありました。それは、真冬のムーミン谷で、一日中お日さまが昇らないままに過ぎていく冬の日々を過ごすムーミン達が、『春』を迎える場面でした。
真っ暗なまま お日さまが顔を出さないのが当たり前になっていたムーミン谷の冬の日々、山の端のむこうの空が、ぼうっと明るくなる時間帯が少しずつ長くなります。それを子ども達は不思議に思って見つめます。するとある日、ほんの一瞬太陽が顔を出すのです。そのとき大人たちが「これが春だ」と教えるのです。
その日を境に、少しずつ大きく弧を描きながら、山の端を横切っていくお日さまを、子ども達が感動をもって見守る春の情景が、子ども心に残ったのでした。
ムーミン谷やサンタの村など、北欧の街に住む人は、今日も太陽の昇らない「極夜」(きょくや)の日々を過ごしているのでしょう。それでも山の向こうの空が、あるいは地平線の向こうの空が、ぼうっと明るくなる時間が、一日一日長くなるのを感じて、「春」の訪れを待っていることでしょう。「光満ちる季節」を待ちわびる気持ちは、どの町に住んでも感じ合えるものだと思うのです。「春を待つ」その思いにこころを集中し、宇宙の中の地球を感じる、それを私は「希望」と呼びたいのです。
暦の上では、あと数日で2020年が終わります。生まれて初めて経験するパンデミックで、世界は今までとは違う場所になり、人々の心はかつてなく不安に陥りました。
それはまるで、しだいに暗くなっていく季節のような日々でした。こころを重くしながらも、耐え抜いて しっかり生きた「自分」や、自分の周りのすべての人を労い、慰め、褒めながら 今年を終えたいと思います。
年末年始は、こうして淡々と、ただ生きて、やがて来る「光満ちる時間」をただただ待つこと、「希望」を持つことに専念しながら、2020年の終わりを迎えたいと思うのです。
どうか、すべての人のもとに、穏やかな新しい時が訪れますように。