夏休みではありますが、近所の子ども達の姿を見かけません。特に最近の夏は、暑すぎて、子どもたちが外で遊ぶのは危険なのでしょう。
家の中で過ごす子どもたちを食べさせるのも、学童保育に行く子どもたちにお弁当を作るのも、材料を買い出しに行くのも大変だろうと思います。作った瞬間から腐り始めそうな この季節のお弁当、買い物帰りの袋の中で溶けはじめる冷凍食品やアイスクリーム、夏の台所はサバイバルですね。
「子どもの夏休みが、つらい」というお母さんたちの声をネット上で見かけると、私は、あの夏の日々を思い出します。
特に、今日は、8月16日、私にとっては「ごめんね記念日」だからです。
2000年の夏、私の家では息子が小学一年生で、娘が保育園児でした。その頃はまだ、夏休みと言えば近所の小学生は水着姿で群れをなして、小学校のプールに通っていました。息子はセミ取りカゴとセミ取り網を持ち、エアコンのない学童保育でも、まったく問題なく、外遊びやプール遊びの一日を過ごしていました。
今思えば、のどかな時代でした。夏の暑さと危険とを結びつけないでいられた時代でした。
それでも、あの頃の私のこころは、「のどかさ」とはかけ離れたところにいました。
多忙を極める仕事に追いまくられ、完璧にはできていなくて、「人から批判されているかもしれない自分」の可能性に取りつかれ、心が追い立てられていたように思います。
仕事と家庭の両立は困難でした。職場の責任と子どものお弁当と、「子供会の保護者のプール当番」がうまく頭で裁けなくて、カレンダーはいつもぐちゃぐちゃでした。もちろん、夫は毎日の朝ごはんを担当してくれて、その間に私はお弁当をつくることができたし、夫の母はどうしても残業しなければならないときに子どもたちを預かって助けてくれたのですが、それでも、次から次に追いかけてくる「役割」のすべてには応えきれなくて、いつも自分に失望していました。
いま思い出せば、あのころの私は フルタイムで働きながら、保育園の送り迎えにも行って、夕ご飯の支度もして、子どもに食べさせたあと、家で持ち帰り仕事を広げていました。どう考えても無理な時間に小学校のPTAが入ったりしていました。あんな生活のなかで「完璧に」何もかもができるわけはなかったんだと気づきます。
社会人、母、妻、嫁、娘、の全ての役割から「まだだめだ」「もっと~べきだ」と脅迫されているような気になって、常に心のどこかで、「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいぃぃ・・・!」と叫んでいたような気がします。
あのころは、まだ「娘役割」もこなそうと頑張っていて、お盆には一家で実家に帰っていました。だから8月16日は お盆の帰省からUターンした直後の疲れた体で、仕事と子どもたちの保育の再開を、ぴりぴりと緊張して迎える日なのでした。
2000年8月16日事件は、そんな中で勃発したのです。
その日は、朝から晴れていました。私は下の子を保育園に預け、学童保育に向かう小1の息子にお弁当と水筒とセミ取り網と籠を持たせて、車から降ろしました。学童保育はまだ開始時間になっていませんでしたが、私は遅刻しないように仕事に行かなくてはなりません。
「もうすぐしたら、学童保育が開くからね、待っててね。お母さんは仕事に行ってくるからね、じゃあね」
そして、お盆明け早々から始まる仕事へと向かったのでした。そして、あわただしく仕事を始めて、しばらくたったときです。職場の廊下の向こうに、黄色い帽子を被った小さい頭が目に入りました。思わず二度見をしてしまいました。まぎれもなく私の息子でした。
あのときの驚きと混乱は、いまでもわすれられません。息子は、私の職場の大人たちに取り囲まれていました。走ってそばにいくと、息子は私の顔を見つけて安心したのか、涙をぽろぽろこぼすのでした。
その日私は、自分の仕事が「始まる、始まる」と、そればかりがプレッシャーになっていて、その日は実は「まだ学童保育はお盆休み中である」ことを、すっかり失念してしまっていたのです。
息子は、誰もこない学童保育の入り口で、暑い中、どれほど心細い時間を過ごしたのでしょう。いつまで待っても誰もこないことに気づき、とうとうあきらめて、母の職場に向かって歩き始めたのでしょう。さいわい子どもの過ごす学童保育と私の仕事場とは、一キロほどの距離にありましたが、まだ小学校1年生の男の子にとって、その道のりは、どんなに遠く、勇気のいる距離だったことでしょう。私は職場の仲間があきれたように見守る中で、息子の頭をくしゃくしゃとなでながら「ごめん」とつぶやき、涙がこみあげてくるのを感じました。「ごめん、なさけない、こんな母親、失格だね。」かっこよく両立できる女性をめざしたけれど、「全然だめだ、私 」・・・深く深く 頭をさげたまま あげられないような、そんな気持ちになりました。
あれから19年たちます。あの日 たよりない母のいいかげんないいつけに従うことを止め、意を決して一歩を踏み出した息子は、誰よりも自分自身を信じる人になりました。
8月16日がくると、いつも私は思い出します。あの日の息子に、毎年「ごめんね」と、つぶやきます。
ただ、このごろ思うのです。あの頃の自分に、もし会えたら、もうダメ出しはしたくないな と、完璧じゃなくても、私なりにベストを尽くそうとしていた私に「完璧なんて目指さなくても大丈夫、肩の力を抜こうよ」と、自分を励ましてやりたいと、そう思うのです。
今現在、子育てしながらアップアップしているお母さんたちに読んでもらったらずいぶん心が軽くなるだろうな、と思いました。けなげに1キロの道を歩いている小学校1年生の息子さんは何を思いながら歩いたんでしょう・・・。ごめんね、と何度も謝った、あなたののその時の気持ちもよくわかります。この文を息子さんも読まれたのですか?なんとおっしゃってましたか?息子さんにとっては心細かったけど一人でお母さんの職場に行けて、ちょっと自信がついた出来事だったかもしれませんね。私も子どもに「ごめんね。」を言ったことがたくさんあるなあ、と自分を振り返りました。
コメントありがとうございます。先日、息子が電話で「読んだよ」と言いました。「親の側の気持ちがわかるよ、働くようになって、生活のハードさがわかったから」と伝えてくれました。子育てにアップアップしている方が周りにいらっしゃったら、「大丈夫!こんなやらかしてしまった人もいたから」と教えてあげてくださいね!