ちびまる子ちゃんの三学期~まる子のおひなさま~

昨年亡くなった「さくらももこさん」。

心のどこかで、さくらももこさん=まる子は、私のともだちでした。 そんな風に思ってしまう人は、私だけではないと思います。 1965年生まれの私にとって、まるちゃんも、たまちゃんも、まるお君も みんな同級生で、私もあのとき小3の子どもだったから、 読むたびに、あの時代1974年 の空気感を思い出すから。

でももう、あれから45年間もたっている。

まるちゃん、 2019年が明けたよ。

平成も もう終わるらしいよ。

心の中で そう呼びかけると あの声で返事が聞こえそうです。

宿題を後回しにしてしまい、長いお休みの終わりは いつもどんよりした顔のまる子 のことを  仕事始めを控えた日には、よく思い出します。

第一巻 お正月のまる子は 「お正月がおわったら マラソン大会がある」ことを思い出して さらに暗くなるのでした。

「さむいだけでイヤなのに そのうえ走って苦しむなんて イヤ イヤッ

そうしてみんなと競走なんて 絶対 イヤ イヤ イヤッ」

来年、さ来年のことまで想像し、さらに暗くなるまる子。

頭が痛いと言っても お母さんに 仮病を見抜かれ、 風邪で欠席のお姉ちゃんを心底羨ましがりながら  マラソン大会の朝を迎えるまる子。

そんなまる子に、お母さんは 「マラソン大会が終わったら、おひな祭りがあるじゃないの」 と励まします。

「ひな人形なんて、お姉ちゃんのじゃん まる子は次女だから ひな人形 ないもん」「べつにいいけど」 とふてくされ、家をとび出すまる子。

結局、マラソン大会では、必死で走ってしまう 頑張り屋のまる子。

でも そんなまる子を家で待っていたのは 風邪が良くなったお姉ちゃんと

お母さんが、まる子のために買ってくれた 「まる子のためのおひなさま」だったのです。

ここまで読んだとき 不思議な あたたかいものに包まれる気がしました。

まる子の家は、第一巻の「うちはびんぼう」に描かれているように 決して余裕のある家ではなかったようですが 、経済状態のことよりも 私の印象に残るのは 「次女に、次女のための おひな様を買う」という そんな家族を、私はこの漫画の中でしか、見たことがない、 ということです。

おひな様=桃の節句や、端午の節句は、日本の伝統で 、長男・長女の初節句の時に、にぎやかに祝うけれど、 次男・次女、三男・三女のときは、何事もないかのように過ぎるものであることが多いようです。

多くの「下の子ども達」は そのことを、不思議にも感じないで 「そんなものだ」と思いこまされる。

子どもなのに「空気を読んで」「常識にからめとられて」 いたんですね。

でも、まる子ちゃんはちがいます。

今から40年前の 昭和50年当時にすでに

「ひな人形なんて、お姉ちゃんのじゃん」と 真実を訴えたまる子がいて そして、それをまっすぐ受け止めたお母さんがいたのでした。

そして、世間の常識よりも「まる子そのもの」を大切にした そんな家族がいた ということに、今ごろになって、気づかされています。

まるちゃん 2019年が明けたよ。

平成も もう終わるらしいよ。

心の中で そう呼びかけると  あの声で返事が聞こえそうです。

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