『今年の秋に沖縄に行こうよ』と娘から誘われたのは6月のことでした。
そこに「線」はなかったのに。
自宅に籠り、仕事を休む毎日が続いています。先日、夫の身体に微熱とコロナウイルスの陽性反応が出たため、体調に問題のない私も、濃厚接触者として、外出や出勤を控えることになったのです。
宝さがし
「宝さがし」に夢中です。「美しい景色、好きなもの、お気に入り、きれいなもの」というお宝を見つけて、写真を撮り、インスタグラムに記録していくという新しい習慣ができたからです。
ただ『在る』だけで。
今年の暑さは、伝説の「1994年の夏」を超える、特別なものになるのでしょう。この危険な暑さの中で、子どもの命をまもりながら過ごす、多くの親御さんたちを、応援します。
今日は8月16日、私にとっては大切な日です。2000年の夏、幼い息子を、炎天下に放置してしまった『ごめんね記念日』だからです。
「殺したくないです」と言える世界に
「暴力はあってはならない。」「殺人は、人として許されない、最も卑劣な犯罪です。」安倍元首相の死後、連日繰り返される「殺人」の罪深さ、そんなに繰り返さなくても、みんな知っています。私たちは、ものごころついてから何よりも早く「人を殺すこと」が最大の罪であることを教えられてきましたから。
その一方で、日々国と国との戦争の映像が流され続け、軍備の必要性が報じられています。この光景は何なのでしょう。互いに互いの責任を問う戦争の、真実はよくわかりません。わかっているのは、元首相の死と同じ瞬間にも、そして今でも、世界のどこかで幾多の命が、とめどもなく奪われ続けているという事実です。
「インナーチャイルド」への贈り物
初めての「リカちゃん人形」を買いました。夏の帽子をかぶって遠くを見つめる姿に、いまにもまっすぐ歩き出しそうなパワーを感じます。大人になった自分から インナーチャイルドの自分への贈り物をしたのです。
不安定な社会情勢で、多くの人が、「癒し」を求めているようです。日々を何気なく生きて来た私もまた、自分の中の「心の底に棲む子ども=インナーチャイルド」のケアをしたいと思います。
生きてきたわけじゃない
事故からちょうどひと月経ちました。体には、まったく後遺症はありません。ただ、あの日に感じた「ちがう世界に迷い込んでしまったかのような」心の変化はおさまる気配がありません。
沖縄を まだ 知らない
沖縄が大好きです。空から降りていくときの海の青さや、街にただよう懐かしい空気感 そして沖縄の人の温かなおおらかさに 魂を鷲掴みにされた人間のひとりです。そうやって、沖縄を語り、知ったつもりになっていたけれど、本当は、私は沖縄を、まだ、ほとんど知らないのだ と気づきます。今日は、1972年5月15日から50年目の 特別な日です。最近はずっと「沖縄を知らない」という思いに、なんども押し寄せられています。 “沖縄を まだ 知らない” の続きを読む
美しい 約束
通りすがりに 私を見て「ヒマそうだから」と話しかけてくれる子どもがいます。うれしいことです。「ヒマそう」は、私にとって、子ども達からの、*褒め言葉なのです。のんびりと生きている大人の姿を見せてあげられるのが、子どもへの「贈り物」だと思うからです。
マブイを落としてしまいました。
自転車通勤を始めて、もう一か月が過ぎました。納車の遅れたクルマを待ちつづける日々、自転車のペダルをこぐ17分の通勤路にも、慣れました。
その日は4月22日の金曜日の朝でした。一週間の仕事で少し疲れを感じていました。
つめこまれた仕事の内容が混み合いすぎて、どう頑張っても「不可能」な一日でした。せめて今日は早めに出勤しようと、いつもとは違う時間帯の通勤路を走っていたのです。
その朝のことを思いだそうとすると、不思議なことに、なぜか「パラレル」という言葉が浮かぶのです。
「上機嫌」な大人
「上機嫌な大人」が好きです。タレントで言えば、所ジョージさんのような人に惹かれます。自分の人生を楽しむことに、罪悪感を持たず、自分以外の誰の人生にも寛容で、肩の力を抜いていて、なんだかいつも楽しそうな人、あんな人になれたらいいのにと思います。
中学1年生の頃に担任だった男の先生は、明るい人でした。夏休みのキャンプで祖母山に登ったのですが、そのさい、先生がリーダーだったと記憶しています。山に登るのが好きな、活動的な先生でした。
サーカスの象は なぜ。
支配的な上司のもとで、管理されながら働くうちに、「ひとの言うことに従う」ことにすっかり慣れてしまい、なにかを自分で考えたり、決めたりすることを諦めてしまおうとしている自分がいます。ときどき、そんな自分に気づくことがあります。
子どもの頃、「親の言うことにさからうと、どんなにひどい目に遭うか」ということを、身をもって覚えさせられた子どもは案外多いものです。そんな彼らは、なにかものごとを選んだり、決めようとするたびに、心の中に棲む「神のような親の存在」に、お伺いをたてる癖が、なかなか治りません。かりに、自分の人生の大切な局面で、その癖が事態を混乱させたとしても、彼らがその呪縛から逃れることは、とても難しいのです。
それは、どこか「サーカスの象」の姿に、似ています。
「弱さの情報公開」について
オリンピック期間中、女子カーリングチームの観戦に熱中し、終わったときは、「さびしい」と感じました。勝っても負けても関係ないのです。彼女たちの笑顔や、互いに励まし合う姿を観ていると楽しかった。それがこの冬の、私への贈り物でした。
「感情を表に出し、積極的に悩みを打ち明けること。互いの弱い部分でつながること。『弱さの情報公開』をすること。」・・・ロコ・ソラーレの吉田選手が、自分たちのコミュニケーション力についてそう語っているとの記事を読み、おどろきました。
『弱さの情報公開』という言葉を、ここで使ったことに、じんわりとした驚きを感じたのは、私だけではないと思います。
『弱さの情報公開』、もしかしたら北海道の人々にとって、この言葉はもう共用語なのでしょうか。あるいは吉田選手は、これを機に、この言葉と、この言葉の発祥の地である北海道浦河町の「べてるの家」のみなさんに、敬意の光を向けようとしたのでしょうか。いっそ流行語になれば良いと私も思います。
挨拶「させる」大人たちへ
「おはようございます? うん! 良いあいさつだね!合格!」
「おはようございます? あれ? 声が小さいぞ!やりなおし!」
「おはようございます? ん?ん? おはよう ご ざ い ま す!!」
朝から、わざわざ腰をかがめて、うつむいた子ども達の視界に入るように、顔をのぞきこんで、子どもが挨拶をするまで、大きな声で繰り返す学校の先生たち。来るなり「ジャッジ」される、朝の子ども達。
不自然な光景です。
「シャットダウン」してみたら
金曜日の夕方、タイム・カードを鳴らして仕事場をあとにするとき、一週間分の記憶が頭に溜まっているのを感じます。今週も良く頑張りました。私なりに最善を尽くしました。えらいぞ私。思い通りに行かないこともありました。思いだすだけで腹の立つようなこともありました。私は自分にささやきます。「もういいよ。忘れよう。大したことじゃない。」そうして、無理やり「シャットダウン」するのです。仕事のことを休日に考えるのはもうやめよう、と。 “「シャットダウン」してみたら” の続きを読む