まちがいさがし

まちがいさがしの 間違いの方に 生まれてきたような気でいたけど

「・・・菅田将暉の今度の曲 『まちがいさがし』 聞いてみて お母さん」

先日娘から、そんなふうに薦められていたのに、忙しすぎて忘れていた 曲でした。

飛行機に乗ると、イヤホンを座席の横に挿して、今月のオススメに耳を傾けます。離陸の轟音を遮断して、緊張感を和らげるために。

ナビゲーターの声が 菅田将暉の その曲を紹介して、いきなり耳に飛び込んでくる そのフレーズを聞いたとき、「あ。」 と思いました。

「まちがいさがしの 間違いの方に生まれてきた」って、これって・・・。

まるで 私自身のこころを 再現されたようなフレーズに 驚いて固まってしまいました。

私が生まれてきたことが、何かの間違いで、両親は、本当は男の子を待っていたのかな。本当は、28年後に私が産んだ、私によく似た男の子 あの子のことを待っていたのかな・・・。あの子が本当は本物なのかな。

・・なんて言う 思いから、ずっと逃れられないでいた 私の耳のすぐそばに、この歌声が響きます。

「まちがいさがしの間違いの方に生まれてきたような気でいたけど」

そのフレーズで、泣きそうなくらいのせつなさを感じたとき 次のフレーズが届いたのでした。

「まちがいさがしの正解の方じゃ きっと出会えなかったと 思う」

・・菅田将暉の、『まちがいさがし』聴いてみて お母さん・・・。

そう言って薦めてくれた、娘のことが 思い出されました。

まちがいでも何でも、わたしじゃなければ あの娘にも 会うことはなかった ということが、そのあたりまえの事実が、その瞬間、胸に迫って来たのです。

(・・だからお母さん お母さんはお母さんでよかったんだよ。)

そんな風に 娘に言われた気がして、幸せな気持ちになったのでした。

この歌は、恋におちた若者の歌なのかもしれませんが、私の中で 私の人生の歌の様に 響いていました。。

私ひとりの思い込みでも構わないのです。でも、とても大切な 私の存在の肯定の歌なのでした。「お前はお前でいい」という思いを 両親から手渡されることなく生きた 私のような人間でも、ときにこうして 娘から手渡されることも あるのでしょう。

上空に向けて加速する飛行機、座席に押し付けられるような重力、その中で、ひとりで、聴いたこの歌を、私はきっと ずっと忘れないでしよう。

「間違いか正解かなんてどうでもいい」 と 私のままで良いことを 私に教えてくれた 心が解き放たれるような思いを受けとった 今日のこのフライトのことを。

私に与えられた さまざまな素晴らしい出会い達は、そのどれ一つとして 私でなければ与えられなかった。そんな当たり前のことを、ずっとかみしめていました。

窓の外には雲の海が広がっていました。

「これでいい、これがいい・・・」と私は心に繰り返していました。

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です