「明日から一週間 また出張に行ってくる」 電話の向こうで息子の声がします。
息子は 耳にイヤホンを入れて、歩きながら話しているようで、電話の声の周りから、都会の音が聞こえてきます。
あたりまえですが、楽しく過ごしている最中の息子は、電話をしてきません。仕事帰りに街を歩きながらの声をときどき きかせてくれます。
「仕事がたまっている」とか、「上司に叱られた」とか、そんな日の息子の声をきくと、こっちまで落ち込みそうになるのですが、でも・・・。
20代のころの、私自身の仕事ぶりを思い出すと、かなりお粗末で、息子を心配できる立場でもありません。
失敗をくりかえし、上司に叱られ、苦情を受け、頭を下げることの多かった私の20代、いったい私はこの仕事に向いているのだろうかという疑問しかありませんでした。仕事って、自分が生きるために、お給料をもらうためだけにしているような気にしかなりませんでした。私でなくても代わりはいくらでもいるし、「仕事で社会貢献」なんて、どこかのだれかのきれいごとにしか思えない、・・・・20代の私は、そんな風に感じていました。
でも、いま 50代の私が20代の後輩を見ても、そしてあの頃の自分をふりかえっても、20代には20代にしかできない、素晴らしい仕事があるとわかります。不器用でも、要領がつかめなくて まわりに迷惑をかけても、それでもあのころの私はあのころの私にしかできない良い仕事をしたと、いまの自分になら わかるのです。
若いということは、存在そのものの発するエネルギーで、そこにいるだけで周りの人を元気にする価値があります。朝、職場に出勤し、「おはようございます」と声をかけてくれる20代の同僚の周りには、不思議なエネルギーが満ちているし、彼らの周りには、年代を問わず、ちょっとした冗談で笑いあう仲間の輪が生まれます。だからあなたたちは、どんなに未熟でも、あなたがそこにいるだけで社会貢献になっているんだよ と、あの日の自分に教えてあげたい、もちろん息子にも、娘にも、職場の後輩にも。
「明日から上司と一緒にベトナムに行くから、今日のうちに、むこうで働く日本人のために お土産を買いそろえないと、忘れ物をしないようにしないと、ええっと買うものは・・・。」
電話口の息子は、自分に言い聞かせるように、現地で働く取引先の方や会社の方々に頼まれた お土産リストをつぶやきます。
「××のひげそりクリーム、ふりかけ、サランラップ、○○屋の味噌、無添加のやつね、これが結構重くて、スーツケースの場所をとるけど・・・。」
私の想像は、ベトナムの地で働きながら、日本からの、○○屋の無添加のお味噌を待ちわびる、駐在員の方のこころにだどりつきます。
その人は、何歳くらいの人でしょう。日本を離れてどれくらいたつのでしょう。たいていのものは世界中で手に入るけれども、○○屋の無添加味噌だけは、どうしても見つからなくて、その味がよけいに恋しく思えているのでしょうか。その人に、懐かしい味が届くなら、その人の元気が 次の良い仕事を産みだすのならば、息子の仕事は、それだけでも素晴らしいと、私は思います。息子、充分、お役に立っているよと。
仕事って、その渦中にあるときは、これが何の役に立つのか、誰かに喜んでもらえているのかもわからなくて、仕事を重く感じることが多いのですが、本当は、すべての仕事は きっと世の中の役にたっているんですよね。
何の仕事も楽じゃない、それはそうだけれど、きつさも苦しみも、失敗も困難も、生きている証のようなもの あなたにしかできない今を、あなたは生きているんだね。
「お味噌 重いだろうけど、きっと喜んでくれるよ」がんばれ息子、全力でお味噌を その方にお届けするのだ。
あなたがそこにいるだけで社会貢献になっている・・・。なんて温かい言葉でしょう。最近の私は日々の忙しさに振り回され、周りに気を配る余裕を失っていました。目の前にいない人や、すぐ目の前にいる人を思いやれるってなんて素敵なこと・・・。と改めて感じました。