おせったいの季節

地元のスーパーマーケットに入ると、色鮮やかな麩菓子をつめた巨大なビニール袋が目に飛び込んできます。なんの前触れもなく「お接待菓子(おせったいがし)」のコーナーが、ある日突如として出現するのです。春です。季節感のかたまりのような「おせったい」のシーズンが今年も近づいているのです。

九州でも、この風習の残っている地域は珍しいのかもしれません。現に私も、夫の育ったこの町に移り住むまでは、まったく聞いたこともありませんでした。それでも、この町の人たちは、この行事を当たり前のこととして、脈々と受け継いでいるようでした。少なくとも私が小学生の子どもをこの町で育てた2000年代はそうでした。娘の友だちのおばあちゃんは、今は故人となりましたが、おせったいをしてくれるおばあちゃんとして、当時の小学生たちの、あこがれでした。

弘法大師をまつり、人々にお菓子をふるまうこの不思議な風習は、旧暦の3月21日、毎年4月の中旬に行われます。地元の民家が、家の縁側や庭先になにやら仏様のようなものをかざり(子どもに聞いた話なのでひどく不正確)お賽銭(お布施?)受けを用意し、どんな小さい小銭を奉じてお参りしようとも、子どもの心の踊るようなお菓子を与えてくれる、それが「おせったい」の風習でした。四国のお遍路さんに対するお接待が起源とも聞きますが、くわしいことはわかりません。

とにかくはっきり言えることは、この行事が「子どもたちに大人気」だったことです。小銭を握りしめて、徒党を組んで、子どもたちは、「おせったい」のおみせびらきをしてくれる家々をめぐりました。一円二円のわずかなお金でも、持って行って、手を合わせておまいりをしさえすれば、にこにこと待ち構えているその家のご老人がほめてくれて、子どもの好きそうなお菓子を用意して「おせったい」してくれるのでした。なんだか最近はやりのハロウィンの風習に似ています。

「おせったい菓子、スーパーに出てましたね」と、懐かしそうに子ども時代を語り始めたのは、美容師の若い男性でした。

「自転車で、友だちとあちこちの家をまわりましたよ。向こうからやってくる、よその学校の知らない子と行きあうと、かごの中のお菓子をお互い確認するんですよ。それで「うわ豪華、それどこでもらったん?」なんて情報交換してね、「ありがとーっ!!」なんて大きな声で言ってね、日ごろは知らない子に話しかけたり絶対しないのに、この日だけは妙にお互い積極的でね。楽しかったなぁ・・・おばあちゃんたちも『どこの子ね?よう来たねぇ。』って嬉しそうにお菓子くれるし、なんかめちゃくちゃラッキーな気分になりました。最高でした。」

子どもにとっても、それを迎えるご老人にとっても、心を通わすこの行事は、今も続いているのでしょうか。あの頃、田んぼを圧してできた新興住宅地に移り住んだ私たちの子どもを、地元の子のおばあちゃんたちは、孫の友としてほんとうに大切にしてくれました。

今はおせったいの風習でなくハロウィンというかたちになったとしても、あの頃の優しかった人はもうこの世を去ってしまっても、子どもたちの心に、きらきらと残るもの、子どもたちが「自分たちはこの世に受け入れられている」と思えるような そんななにかが、土地土地で、時代時代でなされていたらいいなぁと、願ってやみません。

 

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