マブイを落としてしまいました。

自転車通勤を始めて、もう一か月が過ぎました。納車の遅れたクルマを待ちつづける日々、自転車のペダルをこぐ17分の通勤路にも、慣れました。

その日は4月22日の金曜日の朝でした。一週間の仕事で少し疲れを感じていました。

つめこまれた仕事の内容が混み合いすぎて、どう頑張っても「不可能」な一日でした。せめて今日は早めに出勤しようと、いつもとは違う時間帯の通勤路を走っていたのです。

その朝のことを思いだそうとすると、不思議なことに、なぜか「パラレル」という言葉が浮かぶのです。

いつもより、早めに家を出てしまった私が足を踏み入れた「その朝」というパラレル。いつもと違う電車が目の前を横切り、いつもと違う信号にひっかかり、いつもと違う学生を見かけ・・・。

そして、あの小さな路地から、いつもと違って大きなクルマが、ふいに顔を出して来たのでした。

私は、思わず自転車を急停止させました。ぬうっと姿を見せたクルマの鼻先に、ぶつかる寸前で、自転車を停めることができた自分に、つかの間、ほっと安堵した、次の瞬間でした。

岩のように大きな車体の、そのクルマが、そのまま減速することなく、目の前に迫ってきたのです。見上げると、運転手の方の視線が、足元の私ではなく、はるか遠くの安全を確認していて、私の存在にまったく気づいていないことがわかりました。

ゆるやかに、でも確実な動きで、私の身体は自転車ごと、その大きなクルマに押し倒されてしまいました。

地面に投げ出された瞬間、無意識に私は、自分の頭を護って転びました。

起こったことを受け入れることができませんでした。ああ、恥ずかしい と、なぜか思いました。運転手の方が降りてきて、慌てて「大丈夫ですか。怪我はありませんか。」と声をかけてくれました。相手の方によって呼ばれた警察の人、保険会社の人による現場検証の様子を、私はなぜか、この現実を、受け入れることができないような気持で眺めていました。

その日のうちに、病院で検査をし、さいわい 軽いかすり傷と打ち身で終わったことを確認しました。相手の人が、夕方、会社の社長さんとおわびの挨拶に来てくれました。自転車も、いちおう安全点検を済ませました。

それだけのことでした。それなのに、なぜか、見える世界が決定的に違うのでした。

いっさいが、私の眼を通して、まるで、なにか紗がかかったように感じられるのです。あんなにも「不可能」だと感じた仕事も、ふわふわとした精神状態で、やはり不完全に それが当たり前のように 穏やかに過ぎていきました。

「パラレル」と言う言葉が何度も浮かびます。私は今朝、たまたま、あの事故に遭遇するタイミングで家を出て、移動したのです。そしてたまたま、かすり傷で済む転び方をしたのでした。一瞬でもずれていれば、事故にあわなかったかもしれないし、一瞬ずれていれば、あるいは死んでしまっていた可能性もあります。

事故の瞬間のあとから、なぜか地に足がつかないかのような、妙な気分から抜けることができません。まるで、一回この世から離れて、ドローンから俯瞰するように、現実とも思えない、この世界を見つめているのです。

いつか沖縄の友人から聞いた「マブイを落とす(魂を落っことす)」という話を思いだします。沖縄の人々は、人がこんな風な目にあったとき、魂(マブイ)の抜けたようになってしまうということを教えてくれました。沖縄の人々は そうなったときは マブイを落とした場所に行き 拾って体に戻すおまじないをするのだそうです。私のいまの状態は、まさしく「マブイ」の抜けた状態のように感じます。

私も、事故の現場に戻って、マブイ(魂)を拾って、自分のカラダに戻すというおまじないを、誰かにしてもらえたらいいのでしょう。でも、残念ながら、ここは沖縄ではないので、そんなことを頼める友人が周りにいないのです。

しばらくの間、私はマブイの抜けた状態で過ごすようです。やがて正気に戻る日がくるのでしょうか。それとも、しばらくこのまま、この世を映画かドラマを観るような視線で、うっとりと眺めて過ごすのでしょうか。それもいいなと正直思います。これは、永年働き過ぎた私の神経を休める、なにかのはからいなのかもしれません。ぼーっとして、淡々と、日々を過ごしてみようかと思います。

 

 

 

 

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